哲学と冒険 友情編
2026年2月3日執筆開始
朝の連続文字ドラマ 哲学と冒険 友情編
坂口恭平
第一部 喜びの歌
2026年2月3日 節分
2月3日と書いてるんで、今日の話だと思うかもしれませんが、今日の話ではなく、これはきっと昨日の話です。昨日の話と言いながら、私は今、昨日思い出した話から始めようと思う。だから、これも昨日の話ですらない。というわけで、これはもう日記というわけにはいかない。その日その日の思い出した話、しかもあなたの前で話しているわけだから、あなたが楽しんでもらいたい。私はサービス精神旺盛だ。だから、できるだけ話は盛りたい。しかし、事実ではないことは伝えたくない。とにかく頭を流れる川の水面を私は見ていた。私は足の先を見た。細いストライプの掠れた赤色が見えた。これは私の靴だ。大好きなスリッポンだ。バンズとギャルソンがコラボしたやつだ。だからこれは私だ。おしゃれな私だ。
兵庫の加西市というところにある、Voidというギャラリーに向かった。そこで個展をしている。オープニングは一月入ってすぐだったのだが、その時は鬱で行けなかった。鬱になったら、すぐに僕はフーちゃんに伝える、伝える間もなく、フーちゃんもすぐわかる、ゲンはあんまり気にしていない。アオもすぐわかる。声が小さくなる。笑うこともない。作り笑いはできる。
僕たち株式会社ことりえは徐々に僕の動き方、扱い方というのか、いろんな対処の仕方を覚えていっている。ほとんどのことで問題は起きないようになっている。もちろん、私は問題と思ってしまう。ところが、実際は問題はない。鬱になる可能性がある、それが前提で仕事を始めているからだ。たったそれだけのことだったが、それだけのことがなかなかできない。それで鬱になったので、フーちゃんはすぐに伊藤くんに電話をした。Voidのオーナーだ。彼とは電話でしか会ったことがない。一度電話が来て個展をやってくれと言われ、やりたいと言い、鬱がきて、日程が決められず、またやりたいと言ってくれて、日程を決めようとしたがまた鬱がきて、そこで伊藤くんが違ったのは、なんか優しくて、普段は僕は鬱の時は、ほとんど誰にも電話することができない、久子にすらできない。久子はいつも怒るからだ。僕にじゃなくて、頭の中の声の主に。確かに僕の頭の中には声の主がいた。
「あのね、本を書く資格がないって、そんなことに資格なんてあるわけないでしょ」
久子は怒っていた。ベランダで煙草を吸っている僕は、その怒った声を右から左に聞き流すことができる。なぜなら久子は僕に怒っているわけではないからだ。それを知っていたからだ。しかし、僕に向けて怒っていた。僕のどこかの頭の中の、それを地図に描くことができるかもしれない。そのうち僕は鬱の地図を描くことになるかもしれない。備忘録として、書くことも忘れなくて良い。ここはなんでもいい、広場みたいなもんだ。ジャングルだと混沌が黒胡椒のように効きすぎて、食べにくい。広場くらいの感覚で行こう。ジャングルにすんな。精霊の森で生きる動物の夢ばかり描いちゃだめ。でも私は詳細を書きたいんです!全部書けちゃうんです。どこか遠くの星の近くにある衛星から私は六台のカメラを自動的に動かしながら、カメラには直感を感じ取るセンサーまでついていた。いつかはその夢も描こう、そのためのスペースもある。私は今、広大な空間の中にいる。広がっている。目には見えていない。でも確かに感じる、つまり、勘違いじゃなくて確実にそこに存在していた。頭の中ではなかった。頭の中から漏れているのか、滲んでいるのか、そのジョイントの部分が私は気になった。いっつも、異物と異物が接合するその細部が気にななる。なんでだろ。それも思い出すんかね。私は思い出すことが勢揃いして、今か今かとスタート発泡されるのを待ち侘びているのを見ていた。観客席からではなかった。私だって、それらの思い出たちに混じって、鉢巻をきつく巻いていた。昨日は風呂に入ってなかったので、きっとレースが終わったら、頭がひょうたんの形に見えるだろう。私はレース後の勝利インタビューまで見えていた。はるか遠くまで見えていた。ミミズは目の前は見えないのに、20センチ先と700メートル先が同時に見えるって。そんなバカなことがあるもんか。
「緩めるなよ、てか、みんなついてくるよお」
小説家の山下澄人がフツーの声で言った。ゆるめんでいいんじゃない、全部思ったこと、そりゃ、わたくし、バランス感覚は優れているが、だからなんとかモノ作りで飯が食えてる。家族も幸せそうだ。お金がないとか妻に言われたことがない。しかし、アオがまだ小さい頃、私たちは手元に10万円、来月の家賃の支払いがもう目前に迫っていた。今回は私は犬になっている、行ってこーい、とボールを投げたらどこまでも追いかけて、はあはあ言いながら、カプ、くわえて戻るのは私、ところがまた走る犬も私で、私は雑種で、コッカースパニエルとかシェパードではなかった。犬の犬種の名前と特徴をまとめた夏休みの宿題を出したことがある。私は犬を飼っていたので、雑種だったけど、犬について調べたくなった。しかし、あれは私が世界中を旅して、それぞれの国の犬を調べ上げたわけじゃない。ただ、本を読んだだけだった。『世界の犬』という本を書き写した。アフガンハウンドという多分そういう名前だったと思う、毛が長くて、とにかくでかい。そんな犬は周りでは見たことがなかった。旅はまだしたことがなかった。私はまだ小学2年生だった。私は濁った薄藍色と赤地の枯れ葉色の二色のチェックのコットンシャツに紺のニットベスト、下はラクダ色のコールテンパンツを穿いていた。まっさらな黒板の前で、フラッシュの光線が濃黒緑の黒板に当たり、放射状に反射して後光を作り出している。写真の下には「あのころのぼくがわらっているよ♡♡♡」とキツネが木の葉を頭に乗せて絶妙にバランスを取りながら僕に向かって両手を広げていた。
キツネの尻尾 樹木の節 ツグミの歌
風の森 崖 滝 引っ掻き傷 瘤
何にもない世界
2026年2月4日 立春
親友へ
まもなく世界がさらに混迷する。そうすると、結局、いい感じの金になる町よりもストレスが少ない穏やかな世界を求めるようになる。つまり、熊本に、世界中からたくさんの人がリラックスしにくる。芸術家たちはアトリエを構えるだろう。私の熊本の友人を通じて家賃一万円を見つけるだろう。温泉付きで。世界の崩壊万歳。もっと腐れ。金の価値よもっと上がって円安トンネルズンズン進んでいこ~~。しかし、友よ。私はきみが好きだ。きみが困ってたら、いつでもどんな状態でも私は味方だからどんな相談にも乗るつもりだ。もちろんフーちゃんがオッケーしたら、いつでもお金もいくらでも送金する。
「世界・崩壊進んでますが皆さんいかがですか。エブリバッディビビってっか。ビビんな。俺5時間でいいんですね。5時間で100点。それくらい寝れたら100点。ワンツワンツワンツ」
さあ、ここまでで質問ある方いらっしゃいますか?ないね。質問してる場合じゃないんです。も、いっか、そのまま行こ。シェパード飼ってた友達がいた。煙草が今ない。煙草を吸いたい。
シケモクシケモク好きなのよ
あたしはシケモクお嬢さん
シナモンシナモンティー
私はねシナモンスティックをね3本ただお湯にぶっ込んでそのまま10分くらい煮出しただけのシナモン汁みたいな、だけを飲んでるんすよ適当なのに簡単なのにこれ意外とこれ飲ませるとしかも入れ物が中国茶のねすごいちっちゃいので飲ませるの。そしたら不思議で「恭平さんてすごいおしゃれですよね」って言ってくんのやばくて、しかもやばいのがシナモン二日目も使えて。
「おい、酢豚」
「はい。こんばんわ。坂口さんの声が聞きたくて」
「面白いの恭平?」
「面白いというかなんか安心します」
「やっぱり。これがもう男性陣にまで安心行っちゃってるから、女性陣はもういっつも子宮あたりがあったかくなるらしいよ」
恭平さんのテキスト読んでるだけで一緒にいるようなずっといるような指先があったかくなるらしいんよ。で、困ったら電話もできるじゃん、だから勝手にジョイントしちゃっててやばいらしいよ」
「わかります」
「で、困ったら電話もできるじゃん。だからなんか勝手にジョイントしちゃってて。やばいらしいよ。だから時々俺より自分のこと知ってる人いるもんね。そんなこと書いてたっけ?いや、あの日やばかったすよ。おれが書いたのをプリントアウトしてパウチして面白かったなあキチガイだったなあ。いやいや恭平さんには敵わないっすよ。昨日さ、俺今、小林武史に会おうとしているわけ」
「え」
「なんか知らないけど、占い師に言われたんよ」
「なんかおれ専属占い師みたいなのがいて、その人、お金も払ってないのに、全部占ってくるわけ、天体の動きと坂口恭平の動きが完全に一致してるって言ってて、たぶんあっち系のキチガイだと思うんだけど、でも無料でやってくれるから、勝手にやってもらってんだけど、で、小林武史に会え、って言うわけよ」
「そうなんですか?」
「うんうんそうそう。なんでもパウルクレーと小林武史がなんか星回りが一致してるらしく、星なのか秘数だったっけな」
KOBAYASHI TAKESHI 1959年6月7日生まれ
生命 1
運命 11
魂 5
個性 33
成熟度 3
誕生日 7
PAUL KLEE 1879年12月18日生まれ
生命 1
運命 11
魂 5
個性 6
成熟度 3
誕生日 9
「基本、私は未来予想はしないのですが、ここ数日の坂口さんの興味ポイントの点と点をつなぐと、近い将来この人と共闘することになると思います。それは小林武史さんです。理由は色々あるけど、一番のポイントはパウルクレーとコアナンバーが丸かぶりなんです。現実社会で既存の価値観(特にお金に関して)をぶち壊すにはパウルクレーも最高だけど、生きている人と組むことも重要です。その中で私が思う最適解は小林武史さんです」
こうやって、いつも僕のところには松っちゃんという占い師からの連絡がくる。彼女は別にどこかで占っているわけではない自分で好きでカバラ秘数術や空海が行っていた占いなどを研究し、それに星占いをミックスし、独自の占いシステムを構築しており、しかも直接占っているのは僕だけである。まっちゃん曰く「坂口恭平は天体の動きと完全に一致している」とのこと。言われて嬉しくないわけがない。彼女はお金を要求するわけでもないし、僕がたずねるわけでもない、ただまっちゃんがキター!って直感感じた時に長文メールがくる。というわけで僕は小林武史に会わなくてはいけない。僕はこういう思ってもないのに、突然やらなくちゃいけないことが発生することが心の底から大好きだ。それならばとすぐ僕はみゆきに電話をした。もう死んでしまっている俳優松田優作の妻だ。僕は松田優作事務所に所属している。森山未来や松田龍平翔太などが在籍するザ芸能事務所だ。しかし、僕は仕事をしたことがない。
「私はあなたの言葉考え方全体やばいと思っててそれを全部プロデュースしていきたい」
と広尾の小さなバーで熱弁していたが、それは10年以上前のことで、それ以来僕は一度も仕事をしていない。マネージャーは僕と話し続けて発狂して失踪した。そいつは僕のマネージャーだと言われたので、僕のあらゆる仕事、アトリエにも滞在し30時間くらい一緒にいたのだ。その後、彼は発狂したと事務所から連絡があった。でもムラサメと呼ばれていたあいつは私と話すことで脳みそっぱっかーんになってきっと幸せになってアワヤスカを体験しますと言ってペルーに飛んだ。
「小林武史さん最近会ってます?」
「それが全然」
「あ、そっか。みゆき、ありがと、じゃまたね」
「ちょっと待ってよ。あのさ、あなた」
「どしたみゆき」
「あんたさ、なんで熊本みたいな田舎で、まだそのテンションで最高にぶっ壊れてんのよ」
「ま、俺きちがいだし」
「そうだけど、なんかかっこいいなって思って、私、最近疲れててさ」
「知ってたよ、テレパシー感じて電話したからそれが目的だよこの電話の」
私は適当なことを言って電話を切った。熊本が田舎?そんなバカな。私のところには世界中からアトリエでの空間体験を求めて人がやってくる。それで痺れたティムクックがappleのCMに私を抜擢されたこともあった。ひどいことにその時のギャラは20万円。しかも秘密にしますと言う契約書まで書かされた。勿論俺はその日の夜にappleのギャラをネットで書いた。干されて上等。僕はとても楽で、自分1人で生きていて、自分1人でなんでも作れて、その作るものを好きなファンがいてくれて、それで年に5000万円売れているので、もう誰から嫌われてももうどうでもいいのである。僕はそんな気楽な自分が好きだ。落合信彦チルドレン。
「パパ、スイカゲームしてるだけで幸せそうだよね」
「うん、幸せだよ」
「お金かからないしね」
「うん、我が家はお金が全くかからない。お金しか貯まらない。だから、スイッチのゲームくらいなんでも買ってあげるよ」
「ううん。今で満足だよ」
ゲンはサンタにお願いをしない。一度、サンタに何をお願いするのかと聞いたら、きょとんとしていた。そして、いらないと言った。クリスマスのプレゼントがいらないと言う子供がどこにいるのか、聞いたら、僕には毎日これを買ってと言えば買ってくれるパパがいるからサンタは年に一回しか来てくれないから、別にもう満足しているし、いらないと言うのだ。パピコやラムネは確かに毎日買って帰ってきてあげている、確かに、ドラゴンボールやドカベンなどの重要な漫画は全巻セットで買っている。しかし、ゲンは僕はスイッチにもPS5にもクレジットカードを紐付けしているのに、あいつは勝手に買ったことが一度もない。親のスマホで課金しまくるいらずら小僧もいるというのに、ゲンは心が優しいし、欲望の感覚が俺に近い。一緒にいるだけで幸せなのだ。
「あのね、これからはお金は死ぬから。お金じゃなくて、友達が大事なの」
「パパ友達多いもんね。でもそれはパパが人を助けているからだよ」
「つまり、パパが人を助けているのはなぜかわかる?」
「友達が多くなるから」
「そう言うこと。信頼されるってことや、人から信頼される、なんてことは金では買えないやろ?」
「だね」
「人から信頼されるのは、金では買えないこと。とにかく今は金で買えないものを揃えるように努力すりゃいい。家でぼーっとしているだけなのに幸せを感じることができる技術。草花を見ているだけで幸せを感じる技術。あ、そう言えば弦、お前スマホいる?」
「いや、スマホ中毒の大人たちを見ていて、ちっとも楽しそうに見えないから、俺はスマホはやめとくよ」
「お前天才か」
「そのかわり、3Dデザインをやりたいんだよね」
僕はすぐに立石に電話をした。立石は天才である。庵野秀明の映画、エヴァンゲリオンや新仮面ライダーなどのCGを担当し、先日終わったばかりの万博でも一つのパビリオンを全て担当しプロジェクションマッピングを制作している。ファイナルファンタジーの背景、建物なんかも担当しているらしい。しかもそんな立石は熊本の僕たちの家から徒歩5分のところに事務所があるのだ。
「だって、パソコンあれば関係ないでしょ、東京に住んだことないよ、高校卒業してからずっと熊本。スタッフはデンマーク人とフィンランド人。日本人は全然使えない。ゲンくん、そんなにやる気なら教えてあげるから事務所に来なよ。でも坂口恭平から学んだほうがいいよ。パソコンは所詮パソコンだから、坂口恭平、あいつは完全リアルだから」
「ま、違う世界もみたいんだろ」
すると旅人からメールが来た。
「娘のひーちゃんが小林さんと仕事してるんだって」
ほら、こういうことが俺には毎日起きる。
「早速恭平のこと伝えたら、マネージャーさんに電話番号教えたんだって」
もうこの頃には世界は変わり始めていた。私はまだそれがここまでの変化だとは気づいていなかった。家に帰るとゲンは寝ていた。アオは台湾に修学旅行に行っている。夜はフーちゃんとエッチをした。いつも通りの最高のエッチだった。もう25年目のセックスライフ。僕は新しい概念と経験が混じり合った夢の中にいた。そこで私はいつまでも訓練を続けていた。
2026年2月5日
ここは劇場、私は今日も歯を磨いて、顔を洗って、椎の木で作った白木のドアを開けると、肩幅くらいの細い階段を登った。私の寝るところは劇場の一階部分にある。観客には地下と思われているが、実際には地中ではなく、劇場の突き当たりまで行くと、はめ殺しの長方形の大きなガラス窓が3枚並んでいて、そこに陽光が差し込んでいる。冬の朝、私は冬には必ず鬱になる。
「恭平さんね、あなた、冬が嫌いでしょ?」
電話口でアコちゃんが同じクラスの女の子みたいにツンツンつついてきた。
「確かに、寒いのだめだから」
「恭平さん、あなた冬を好きになればいいのよ」
「好きじゃないものを好きになれるもんかね」
「あなたは冬のことを、あんまり知らないだけかもよ」
「それはそうかも」
「冬景色とか」
「冬景色? 雪景色じゃなくて?」
「あなた冬景色知らないの?」
「知らない」
「面白いね、恭平さん、何にも知らないんだもの」
「アコちゃん、教えてよ」
アコちゃんは電話口で、ちょっと待ってね、と一度咳払いをすると、裏声を歌い出した。
さ霧消ゆる 湊江の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家
烏啼きて 木に高く
人は畑に 麦を踏む
げに小春日の のどけしや
かえり咲きの 花も見ゆ
嵐吹きて 雲は落ち
時雨降りて 日は暮れぬ
若し燈火の 漏れ来ずば
それと分かじ 野辺の里
「なんか聞いたことがあるけど、知らない」
「えー、恭平さん唱歌知らないとー?」
「知らん。唱歌ってなんね」
「尋常小学校の音楽教材として作られた歌。冬景色は作詞作曲どちらも不明なんだけど、美しいよ、朝、昼、晩のそれぞれの美しい冬の姿を歌にして、美輪明宏さんがね、歴史上最も幻想的な歌ってこの前そういえばテレビで言ってた。冬についての歌を好きになったら、恭平さん、冬に鬱にならないかなって思って」
アコちゃんとは、空海の妻、玉依御前(たまよりごぜん)の別名、阿古屋(あこや)御前の名前から取ったと、アコちゃんの父が言っていた。アコちゃんは現在78歳のぴちぴちギャル。男性とデートをしたことがない、もちろん処女である。なぜ私と電話をしてくれるのか、なぜ毎日、私は石牟礼道子の墓にお参りをするのだが、娘を高校まで送ったついでに高校から車で5分行ったところにある墓地の墓守をしている。アコちゃんむちゃくちゃキュートで色彩感覚のウマが合うのか私の絵が好きでいてくれて、私はよくアコちゃんに絵を贈り物として渡す。
「私は冬が一番好きな季節なの」
「へえ、珍しいね」
「冬は花も素敵なものがたくさん咲くんだよ」
「花ねえ」
「恭平さん、花は好きなの?」
「花は好きだよ、でも全然知らないかも名前を」
「今日も墓に来るの?」
「うん、今から行くよ、もうすぐ着くし」
「じゃあ、秘密の森に連れて行ってあげる」
「森? 熊本に森なんかあるの?」
「あるわよ。私がいっつも歩いているところ。毎日、その森を散歩しているの」
私はスピーカーフォンで電話している。ポルシェのカイエンファーストモデル。中古車屋で128万円で買った。原価2000万円近くもする高級車のはずだが、隣に並んでいる軽のラパンの方が高かった。
「なんでこんなに安いの?」
「え、そ、それはですね、、、」
決まりが悪そうな大輔が目を逸らした。私は暇ができると娘のアオを誘ってよく中古車屋に行って、試乗する。それが趣味というか、それは車を買うわけではなくて、いろんな車に乗ってもしもこの車を買ったらどんな生活ができるんだろうと勝手に妄想するための遊びなのだが、その遊びをアオも興味持ってくれて、日曜日2人とも退屈していて、ブックオフ行くか中古車みるかって悩んでいたら、アオが車に乗りたいというので初めて連れて行った。
「事故物件みたいなやつか」
「はあ、つまり、そういうことです」
「ふむ」
私が運転席に乗り込むと、アオも後部座席でiphoneをいじっている。NewJeansを聴いている。あの五人今頃何をしているんだろう。2人で少し気になったが、今度、ベトナムでも行ってみようよ、と僕は言った。メンバーの1人、ハニは今、自分の父の故郷であるベトナムで生活をしているらしい。アオがそんな話をした。ベトナムに行ってみたい。私も行ってみたい。私はハノイに行きたい。ハノイの漢字名は「河内」なぜか、私の両親の故郷である河内町と同じ漢字なのである。最近、ペルーにもカワチという名前の遺跡があることが発見されたらしい。人が生活している形跡はないが、直径3メートルほどの巨大な石柱が並んでいた。私はその場に立ち、強い光が作り出した私の形をした影をじっと見ていた。ペルーにもハワイにもカリフォルニアにも私の先祖たちが移住している。なんだか、うちの家族は変なのだ、父方の祖父は、車をやめて馬に乗ると言って、整備工場の仕事を畳み、それ以来ずっと馬に乗り、働くこともやめ、花岡山の麓の広大な土地でいつも乗馬をしていたという。父親の記憶の話は私の頭の中で今も太陽の光を浴びている。猿がいた、と父が言った。祖父はとても心優しい人間で、しかも人間だけでなく、いやむしろ人間よりも人間以外の生物に対しての異常な愛情に満ち溢れていたそうだ。なんでそんなに河内のことを調べているのかというと、よくわからない。私は「カワチ」というタイトルの2000枚の小説まで書き上げている。2000枚の小説なんて村上春樹じゃないと出版してくれない。もうこうなったら今年、自費出版してみるかと私は思った。前回は2022年、私はお金についての本を自費出版し、五千部を1週間で完売させた。それができるのだから、なんでもできるじゃないか、もう私は作家ではなく、出版社全体になっている。私は自分で自分のことを丁寧に扱うことができる。2000枚の小説だってきっとできる、きっと本になってみんなが読むことができる。嬉しいな。自分のことを自分で丁寧に扱うと全てが変わる。失望しなくなる。だって、私は私のことを世界で一番愛しているから。そんなふうに自分を捉えることができるようになった。私は私にとってVIPだ。VIPだと思って自分に接するそうすると全てが変わり始める。私という人間が色彩を取り戻し、生き生きと躍動するのだ。
「パパ、この車がいい」
ポルシェのエンジン音が鳴り響くと、アオは開口一番そう言った。アオは人間以外の何か魂のようなものが見える。らしい。私は見たことがない。しかし、アオは4歳の時から見える。私は怖がることはしなかった。むしろ興味深い。知りたい知りたい。その魂の顔を知りたい。そこで私は4歳のアオに独占インタビューを申し込み、モンタージュ似顔絵を作った。警察がやるようなあれだ。それは目と鼻だけ大きくて、顔の顎の部分に細長い人間のような足が2本くっついていて、手はドラえもんみたいで、頭には7本の人間の髪の毛が上に向いて伸び、風に揺れていた。ぬるい初夏の風がレースのカーテンを膨らませ、レースの隙間をくぐった風の粒子は7本の髪の毛をゆっくり撫でた。私はその風を今も忘れない。つまり、アオはしっかりとその生き物を見ていたのだろう。「かいじ」と「こいじ」。2人、2匹どちらかわからないが、その二つの生き物には名前があった。アオは名付け親だ。いつもどんなことにもアオは名前をつけることができる。アオが生まれて初めて買った本は命名辞典である。今本棚に並んでいるその辞典は真ん中から真っ二つに割れているのをセロテープで接合している。それくらいずっと読んでいた。何が面白いのかわからないのだが、アオは人の名前が好きだった。好きなものがあって素晴らしいね。好きなものを大人になるつれて、人間は忘れていってしまう。だから事故物件だろうが、アオが好きなら、きっとこの車は縁起がいい。私は現金をおろして、そのままポルシェを買った。アコちゃんのところに行くまでにふっと思い出した。ふっと思い出す時、空を見ると、いつも心の襞と同じ音色をしている。柔らかい鱗雲だった。雲の後ろに薄く紫色の下地が効いている。私はつい空を描いてばかりいたので、パレットを持ちながら物事を見てしまう。どうやってこの色を表そうか、いっつもそのことを考える。それで最近はいっつも黄色を使う。なんでだろと思ってたら、文林堂、これは私がいつも画材を買う、家から徒歩5分の充実した画材屋だ、その社長が言った。
「私は共感覚を持っているんですよ」
「どんなふうに見えているんですか?」
「人を見ると、色が見えるんです」
「私は?」
「坂口さんは、黄色ですね。外側に橙色になっていくグラデーションがありますが、やっぱり黄色です。発光しているような澄んだ黄色です」
私たちは前回の鬱の間に25日間ずっと外に出ず描き続けた大きな100号キャンバスの前に立っていた。それはまさに黄色の絵で、ふと私はピカソの青の時代からインスピレーションを受けて「The Yellow Period」と口から漏れた。黄色の時代。なんかオリジナルなかんじ、気持ち良い、黄色って好き、黄色ってユニークで温かくてほのぼの子供っぽくて生きてるって感じがする。ちっとも寒くない。
「あと、恭平さんもまた共感覚の持ち主なんですよ」
「へえ、それも見えるんですか?」
「いや、私は色しか見えません。でも、恭平さんは」
恭平、という言葉を発することに慣れている、画材屋の社長と私はそんなに慣れていない。しかし、画材屋の祖父、つまり、この画材屋の創始者が、六部恭平という名前であることを私は父から知らされた。私の名前坂口恭平の恭平は、この六部恭平からいただいたものだという説明を一度だけ聞き、私はどうしてこの人の名前が私の名前になったのか必死に調べた。元々私は坂口真理男(マリオ)という名前をつけられたそうだ。父方の祖母から。文藝春秋を毎号読んでいた読書少女だったというサイという名前の祖母は私に真理の男という名前をつけた。なぜマリオ!しかも時は1978年。宮本茂がスーパーマリオブラザーズをこの世に生み出したのは1985年。つまり、私は初代マリオだったのだ。しかし、私の母がそれを断固拒否、その名前にするなら離婚するとまで拒否し、困った父は祖母に代案を要求、完璧な名前だと自負していたサイは突然の変更にびっくり仰天、しかし、仕方がないと、サイが小学生の時に好きだった、小学校の中で一番頭がよく、一番字が綺麗で、一番絵も上手で、歌も上手な六部恭平に目星をつける。坂口恭平。サイは実は細川藩の妾の占い師をやっていたので、いっつも名前を書いては、画数、誕生日、さらには彼女自身が興味を持っていた古代ギリシア文化の占いなど様々なものを混ぜ合わせ、独自に開発したカード占いの名手だったので、何度も占った結果、芸術家として社会的頂点に立つ、と、こんなんでましたので、マリオという名前を下地の中に隠し、私は坂口恭平となった。しかし、実際は私は初代スーパーマリオなのである。躁状態になった時はスターマリオになって、私は救世主になったと勘違い東奔西走し人々を助ける蘇生するお金がないならどんどん配るお金配りおじさんになる。それを妻は救世主(メシア)になって走り回るをもじって、メシアメシア、メッシ、サッカー選手、ドリブルの名手メッシ、キラーパスの天才メッシ、と重ね合わせて「恭平、少しメッシになってるよ」と優しくアドバイスしてくれるそんな妻が私は好きだ。それなのに、私は月に一度必ず誰か他の女性を好きになる。すぐ恋に落ちる。鬱に落ち、鬱が明けると、恋に落ちる。落とし穴ばかりの人生だ。マリオだからなのかな。世界中の土管に体を挿れたくなる。そうやってすぐに別の女性の土管に私は自分のペニスをマリオと呼んでしまっているからこんなことになるのだ。昔はよく妻のところに、今月の好きな人、みたいに、ポパイの雑誌じゃないんだから、彼女を紹介したりして、我が家で泊まってもらって、息子と娘に紹介するというキチガイぶり、しかし、最近は私は大人になった。そして、普通の日本人男性の平均と変わらないようになった。土管にマリオが入っても、妻に紹介したり、口で言ったりしなくなった。こうやって、小説を書いている方が楽だ。小説は全部嘘だからなんでも書ける。とても都合の良い、最高のメシアだ。
馬酔木の花が揺れて、それはまるでウィーンの街頭のように見えた。私はまだまだ描きたいことがたくさんある。歌もたくさん歌いたい。今日は石牟礼道子の「水はみどろの宮」の朗読劇をする。全部フィクションってことにしちゃえ、したくてしたくてたまらない。沖島勲という男が撮った映画のタイトルだ。あの男は恐ろしい。優しい。私は彼が脚本を担当した日本昔ばなしというテレビアニメで育った。一度感謝を伝えにわざわざ会いに行ったことがある。玉川上水沿いを歩きながら。みんなが自殺したあの川だ。ばかやろ。死んでどうする。地獄だろうがなんだろうが、昔話は自殺なんかしないんだよ。どんどん悪いやつズル賢い奴は死ぬのに、針山に突き刺さって死ぬ、それなのに、主人公である私は、真っ直ぐ前しか見ずに今日も真っ直ぐ歩く、私は森の中を歩いていた。円椎(ツブラジイ)の巨木が目に入った。紋様のような木肌、アコちゃんはその木肌をスケッチしている僕の背中から顔を覗かせて「恭平さんって素敵ね」と言った。山の神にお参りした。春の森に入った。菫の葉っぱが、今か今かと外に出たがって戸をあける冬の子供のようにザワザワしている。花は3月になったらね。綺麗よ紫のスミレ。木蓮がもう我慢できずに漏れ出てきそうだ。蕾が私のいきたいけどイカずに女の子のイン部を舐め続けている時の腫れ上がった睾丸のように膨らんでいる。向こうにはドイツのワイマールイルム公園を彷彿とさせるコブシの林が。アコちゃんは私に森の歩き方、彷徨い方を教えてくれている。私は教えてもらったばかりの唱歌「冬景色」を歌っている。寒苺が誰かに食べられている。鳥かな猪かな。茶梅は咲いて赤の裏地はワインレッド、しかし、まだ椿は蕾のままだ。譲葉はアコちゃんだって初めて見たってさ。細い幹を指差したアコちゃんの方向に私の目玉は少しずつ幹の先の先の先端まで、幹は重さで、右に大きく曲がり、そこからさらに枝葉が生えていく、私の成長と分岐と植物の成長と分岐が重なっていく。私はバッグからリンゴを取り出した。輪郭の線的な形象を空間の領域、つまり春の森の隣にあるこの冬の森にまで広げた。もうすでに私の中には創造的なものの秘密の躍動が感じられるのであるが、このあなたが今読んでいる平面のスクリーンから立体へと私の現実へとさらに進む過程を一つ一つ紐解いてあなたにプラモデルの説明書のように見せたい。この秘密の根源とはどこにあるのか。私たちは流れを遡りながらその源泉に達しようと、この秘密に満ちた地点に近づこうとした。この世の全てを変える、などと大それたことを考えなくても良い。できるだけそこに近づきたい、私が思い描くあの理想郷に一歩でも近づきたいという欲求を、私は抑えるべくもないのである。
「恭平さん、あなたは共感覚の持ち主マリオです。私は人を見ると、色が見える。人から色、単線です。しかし、恭平さんあなたは少し違う、いや随分違う、つまり、あなたは空気の粒を一つのぞいただけで深淵の宇宙が見えるのです、その虚空にぽっかりと浮かぶ一つの惑星を見つけることもできます。グーグルアースみたいに小さなあなたは大きくなってその星の一つの島を見つけ、少しずつ拡大し、村の様子まで見えてくるでしょう、レンガ積みの橋を渡る、郵便屋さん、そのいくさきの3階建ての漆喰で塗られた一軒の長屋、その2階にいるアコちゃんの姿まで見える。丁寧に植物、それは一番最初に春を告げる万作の花に水をあげているアコちゃん、両開きの木製窓は風を吸い込み、あなたはドローンとなって、戦争に使われていたものを再構成し、部屋の中に無音のまま入り込み、アコちゃんが終生大事にしていたポプラで作った洋服箪笥に近づいていく。アコちゃんが秘密の三段目の箪笥を開くと、そこには箱庭療法ばりに、引き出し全体にもう一つの小さな村が発生し、もう日が暮れて、家々の灯が一つ一つ鉄琴を静かに叩くように明るさを生み出していった。恭平さん、あなたはそこまで見えちゃうのです。つまり、あなたは人→色の単線ではなく、空気の粒一つから宇宙全体からアコちゃんが住んでいた漆喰の家だけでなく、その引き出しの中のドールハウスジオラマのもう一つの村、その村の夜の帳を織る人々の製造工場の平面図まで描けるのです。つまり、空気の粒→宇宙、惑星、島、都市、村、人々、家具、おもちゃまで具体的に色味をつけたまま思い描ける、共感覚者の中の共感覚者、共感覚界の建築家、いや、それは天地創造をしていると言えるでしょう。つまり、恭平さんあなたは世界最高のキチガイなのです!」