哲学と冒険 友情編

2026年2月3日執筆開始

 朝の連続文字ドラマ 哲学と冒険 友情編

 坂口恭平

 第一部 喜びの歌 Down to Joy

 2026年2月3日 節分

 2月3日と書いてるんで、今日の話だと思うかもしれませんが、今日の話ではなく、これはきっと昨日の話です。昨日の話と言いながら、私は今、昨日思い出した話から始めようと思う。だから、これも昨日の話ですらない。というわけで、これはもう日記というわけにはいかない。その日その日の思い出した話、しかもあなたの前で話しているわけだから、あなたが楽しんでもらいたい。私はサービス精神旺盛だ。だから、できるだけ話は盛りたい。しかし、事実ではないことは伝えたくない。とにかく頭を流れる川の水面を私は見ていた。私は足の先を見た。細いストライプの掠れた赤色が見えた。これは私の靴だ。大好きなスリッポンだ。バンズとギャルソンがコラボしたやつだ。だからこれは私だ。おしゃれな私だ。

 兵庫の加西市というところにある、Voidというギャラリーに向かった。そこで個展をしている。オープニングは一月入ってすぐだったのだが、その時は鬱で行けなかった。鬱になったら、すぐに僕はフーちゃんに伝える、伝える間もなく、フーちゃんもすぐわかる、ゲンはあんまり気にしていない。アオもすぐわかる。声が小さくなる。笑うこともない。作り笑いはできる。

 僕たち株式会社ことりえは徐々に僕の動き方、扱い方というのか、いろんな対処の仕方を覚えていっている。ほとんどのことで問題は起きないようになっている。もちろん、私は問題と思ってしまう。ところが、実際は問題はない。鬱になる可能性がある、それが前提で仕事を始めているからだ。たったそれだけのことだったが、それだけのことがなかなかできない。それで鬱になったので、フーちゃんはすぐに伊藤くんに電話をした。Voidのオーナーだ。彼とは電話でしか会ったことがない。一度電話が来て個展をやってくれと言われ、やりたいと言い、鬱がきて、日程が決められず、またやりたいと言ってくれて、日程を決めようとしたがまた鬱がきて、そこで伊藤くんが違ったのは、なんか優しくて、普段は僕は鬱の時は、ほとんど誰にも電話することができない、久子にすらできない。久子はいつも怒るからだ。僕にじゃなくて、頭の中の声の主に。確かに僕の頭の中には声の主がいた。

「あのね、本を書く資格がないって、そんなことに資格なんてあるわけないでしょ」

 久子は怒っていた。ベランダで煙草を吸っている僕は、その怒った声を右から左に聞き流すことができる。なぜなら久子は僕に怒っているわけではないからだ。それを知っていたからだ。しかし、僕に向けて怒っていた。僕のどこかの頭の中の、それを地図に描くことができるかもしれない。そのうち僕は鬱の地図を描くことになるかもしれない。備忘録として、書くことも忘れなくて良い。ここはなんでもいい、広場みたいなもんだ。ジャングルだと混沌が黒胡椒のように効きすぎて、食べにくい。広場くらいの感覚で行こう。ジャングルにすんな。精霊の森で生きる動物の夢ばかり描いちゃだめ。でも私は詳細を書きたいんです!全部書けちゃうんです。どこか遠くの星の近くにある衛星から私は六台のカメラを自動的に動かしながら、カメラには直感を感じ取るセンサーまでついていた。いつかはその夢も描こう、そのためのスペースもある。私は今、広大な空間の中にいる。広がっている。目には見えていない。でも確かに感じる、つまり、勘違いじゃなくて確実にそこに存在していた。頭の中ではなかった。頭の中から漏れているのか、滲んでいるのか、そのジョイントの部分が私は気になった。いっつも、異物と異物が接合するその細部が気にななる。なんでだろ。それも思い出すんかね。私は思い出すことが勢揃いして、今か今かとスタート発泡されるのを待ち侘びているのを見ていた。観客席からではなかった。私だって、それらの思い出たちに混じって、鉢巻をきつく巻いていた。昨日は風呂に入ってなかったので、きっとレースが終わったら、頭がひょうたんの形に見えるだろう。私はレース後の勝利インタビューまで見えていた。はるか遠くまで見えていた。ミミズは目の前は見えないのに、20センチ先と700メートル先が同時に見えるって。そんなバカなことがあるもんか。

「緩めるなよ、てか、みんなついてくるよお」

 小説家の山下澄人がフツーの声で言った。ゆるめんでいいんじゃない、全部思ったこと、そりゃ、わたくし、バランス感覚は優れているが、だからなんとかモノ作りで飯が食えてる。家族も幸せそうだ。お金がないとか妻に言われたことがない。しかし、アオがまだ小さい頃、私たちは手元に10万円、来月の家賃の支払いがもう目前に迫っていた。今回は私は犬になっている、行ってこーい、とボールを投げたらどこまでも追いかけて、はあはあ言いながら、カプ、くわえて戻るのは私、ところがまた走る犬も私で、私は雑種で、コッカースパニエルとかシェパードではなかった。犬の犬種の名前と特徴をまとめた夏休みの宿題を出したことがある。私は犬を飼っていたので、雑種だったけど、犬について調べたくなった。しかし、あれは私が世界中を旅して、それぞれの国の犬を調べ上げたわけじゃない。ただ、本を読んだだけだった。『世界の犬』という本を書き写した。アフガンハウンドという多分そういう名前だったと思う、毛が長くて、とにかくでかい。そんな犬は周りでは見たことがなかった。旅はまだしたことがなかった。私はまだ小学2年生だった。私は濁った薄藍色と赤地の枯れ葉色の二色のチェックのコットンシャツに紺のニットベスト、下はラクダ色のコールテンパンツを穿いていた。まっさらな黒板の前で、フラッシュの光線が濃黒緑の黒板に当たり、放射状に反射して後光を作り出している。写真の下には「あのころのぼくがわらっているよ♡♡♡」とキツネが木の葉を頭に乗せて絶妙にバランスを取りながら僕に向かって両手を広げていた。

 キツネの尻尾 樹木の節 ツグミの歌

 風の森 崖 滝 引っ掻き傷 瘤

 何にもない世界

 2026年2月4日 立春

 親友へ

 まもなく世界がさらに混迷する。そうすると、結局、いい感じの金になる町よりもストレスが少ない穏やかな世界を求めるようになる。つまり、熊本に、世界中からたくさんの人がリラックスしにくる。芸術家たちはアトリエを構えるだろう。私の熊本の友人を通じて家賃一万円を見つけるだろう。温泉付きで。世界の崩壊万歳。もっと腐れ。金の価値よもっと上がって円安トンネルズンズン進んでいこ~~。しかし、友よ。私はきみが好きだ。きみが困ってたら、いつでもどんな状態でも私は味方だからどんな相談にも乗るつもりだ。もちろんフーちゃんがオッケーしたら、いつでもお金もいくらでも送金する。

「世界・崩壊進んでますが皆さんいかがですか。エブリバッディビビってっか。ビビんな。俺5時間でいいんですね。5時間で100点。それくらい寝れたら100点。ワンツワンツワンツ」

 さあ、ここまでで質問ある方いらっしゃいますか?ないね。質問してる場合じゃないんです。も、いっか、そのまま行こ。シェパード飼ってた友達がいた。煙草が今ない。煙草を吸いたい。

 シケモクシケモク好きなのよ

 あたしはシケモクお嬢さん

 シナモンシナモンティー

 私はねシナモンスティックをね3本ただお湯にぶっ込んでそのまま10分くらい煮出しただけのシナモン汁みたいな、だけを飲んでるんすよ適当なのに簡単なのにこれ意外とこれ飲ませるとしかも入れ物が中国茶のねすごいちっちゃいので飲ませるの。そしたら不思議で「恭平さんてすごいおしゃれですよね」って言ってくんのやばくて、しかもやばいのがシナモン二日目も使えて。

「おい、酢豚」

「はい。こんばんわ。坂口さんの声が聞きたくて」

「面白いの恭平?」

「面白いというかなんか安心します」

「やっぱり。これがもう男性陣にまで安心行っちゃってるから、女性陣はもういっつも子宮あたりがあったかくなるらしいよ」

 恭平さんのテキスト読んでるだけで一緒にいるようなずっといるような指先があったかくなるらしいんよ。で、困ったら電話もできるじゃん、だから勝手にジョイントしちゃっててやばいらしいよ」

「わかります」

「で、困ったら電話もできるじゃん。だからなんか勝手にジョイントしちゃってて。やばいらしいよ。だから時々俺より自分のこと知ってる人いるもんね。そんなこと書いてたっけ?いや、あの日やばかったすよ。おれが書いたのをプリントアウトしてパウチして面白かったなあキチガイだったなあ。いやいや恭平さんには敵わないっすよ。昨日さ、俺今、小林武史に会おうとしているわけ」

「え」

「なんか知らないけど、占い師に言われたんよ」

「なんかおれ専属占い師みたいなのがいて、その人、お金も払ってないのに、全部占ってくるわけ、天体の動きと坂口恭平の動きが完全に一致してるって言ってて、たぶんあっち系のキチガイだと思うんだけど、でも無料でやってくれるから、勝手にやってもらってんだけど、で、小林武史に会え、って言うわけよ」

「そうなんですか?」

「うんうんそうそう。なんでもパウルクレーと小林武史がなんか星回りが一致してるらしく、星なのか秘数だったっけな」

 KOBAYASHI TAKESHI  1959年6月7日生まれ

 

 生命  1

 運命 11

 魂   5

 個性 33

 成熟度 3

 誕生日 7

 PAUL KLEE 1879年12月18日生まれ

 生命  1

 運命 11

 魂   5

 個性  6

 成熟度 3

 誕生日 9

「基本、私は未来予想はしないのですが、ここ数日の坂口さんの興味ポイントの点と点をつなぐと、近い将来この人と共闘することになると思います。それは小林武史さんです。理由は色々あるけど、一番のポイントはパウルクレーとコアナンバーが丸かぶりなんです。現実社会で既存の価値観(特にお金に関して)をぶち壊すにはパウルクレーも最高だけど、生きている人と組むことも重要です。その中で私が思う最適解は小林武史さんです」

 こうやって、いつも僕のところには松っちゃんという占い師からの連絡がくる。彼女は別にどこかで占っているわけではない自分で好きでカバラ秘数術や空海が行っていた占いなどを研究し、それに星占いをミックスし、独自の占いシステムを構築しており、しかも直接占っているのは僕だけである。まっちゃん曰く「坂口恭平は天体の動きと完全に一致している」とのこと。言われて嬉しくないわけがない。彼女はお金を要求するわけでもないし、僕がたずねるわけでもない、ただまっちゃんがキター!って直感感じた時に長文メールがくる。というわけで僕は小林武史に会わなくてはいけない。僕はこういう思ってもないのに、突然やらなくちゃいけないことが発生することが心の底から大好きだ。それならばとすぐ僕はみゆきに電話をした。もう死んでしまっている俳優松田優作の妻だ。僕は松田優作事務所に所属している。森山未来や松田龍平翔太などが在籍するザ芸能事務所だ。しかし、僕は仕事をしたことがない。

「私はあなたの言葉考え方全体やばいと思っててそれを全部プロデュースしていきたい」

 と広尾の小さなバーで熱弁していたが、それは10年以上前のことで、それ以来僕は一度も仕事をしていない。マネージャーは僕と話し続けて発狂して失踪した。そいつは僕のマネージャーだと言われたので、僕のあらゆる仕事、アトリエにも滞在し30時間くらい一緒にいたのだ。その後、彼は発狂したと事務所から連絡があった。でもムラサメと呼ばれていたあいつは私と話すことで脳みそっぱっかーんになってきっと幸せになってアワヤスカを体験しますと言ってペルーに飛んだ。

「小林武史さん最近会ってます?」

「それが全然」

「あ、そっか。みゆき、ありがと、じゃまたね」

「ちょっと待ってよ。あのさ、あなた」

「どしたみゆき」

「あんたさ、なんで熊本みたいな田舎で、まだそのテンションで最高にぶっ壊れてんのよ」

「ま、俺きちがいだし」

「そうだけど、なんかかっこいいなって思って、私、最近疲れててさ」

「知ってたよ、テレパシー感じて電話したからそれが目的だよこの電話の」

 私は適当なことを言って電話を切った。熊本が田舎?そんなバカな。私のところには世界中からアトリエでの空間体験を求めて人がやってくる。それで痺れたティムクックがappleのCMに私を抜擢されたこともあった。ひどいことにその時のギャラは20万円。しかも秘密にしますと言う契約書まで書かされた。勿論俺はその日の夜にappleのギャラをネットで書いた。干されて上等。僕はとても楽で、自分1人で生きていて、自分1人でなんでも作れて、その作るものを好きなファンがいてくれて、それで年に5000万円売れているので、もう誰から嫌われてももうどうでもいいのである。僕はそんな気楽な自分が好きだ。落合信彦チルドレン。

「パパ、スイカゲームしてるだけで幸せそうだよね」

「うん、幸せだよ」

「お金かからないしね」

「うん、我が家はお金が全くかからない。お金しか貯まらない。だから、スイッチのゲームくらいなんでも買ってあげるよ」

「ううん。今で満足だよ」

 ゲンはサンタにお願いをしない。一度、サンタに何をお願いするのかと聞いたら、きょとんとしていた。そして、いらないと言った。クリスマスのプレゼントがいらないと言う子供がどこにいるのか、聞いたら、僕には毎日これを買ってと言えば買ってくれるパパがいるからサンタは年に一回しか来てくれないから、別にもう満足しているし、いらないと言うのだ。パピコやラムネは確かに毎日買って帰ってきてあげている、確かに、ドラゴンボールやドカベンなどの重要な漫画は全巻セットで買っている。しかし、ゲンは僕はスイッチにもPS5にもクレジットカードを紐付けしているのに、あいつは勝手に買ったことが一度もない。親のスマホで課金しまくるいらずら小僧もいるというのに、ゲンは心が優しいし、欲望の感覚が俺に近い。一緒にいるだけで幸せなのだ。

「あのね、これからはお金は死ぬから。お金じゃなくて、友達が大事なの」

「パパ友達多いもんね。でもそれはパパが人を助けているからだよ」

「つまり、パパが人を助けているのはなぜかわかる?」

「友達が多くなるから」

「そう言うこと。信頼されるってことや、人から信頼される、なんてことは金では買えないやろ?」

「だね」

「人から信頼されるのは、金では買えないこと。とにかく今は金で買えないものを揃えるように努力すりゃいい。家でぼーっとしているだけなのに幸せを感じることができる技術。草花を見ているだけで幸せを感じる技術。あ、そう言えば弦、お前スマホいる?」

「いや、スマホ中毒の大人たちを見ていて、ちっとも楽しそうに見えないから、俺はスマホはやめとくよ」

「お前天才か」

「そのかわり、3Dデザインをやりたいんだよね」

 僕はすぐに立石に電話をした。立石は天才である。庵野秀明の映画、エヴァンゲリオンや新仮面ライダーなどのCGを担当し、先日終わったばかりの万博でも一つのパビリオンを全て担当しプロジェクションマッピングを制作している。ファイナルファンタジーの背景、建物なんかも担当しているらしい。しかもそんな立石は熊本の僕たちの家から徒歩5分のところに事務所があるのだ。

「だって、パソコンあれば関係ないでしょ、東京に住んだことないよ、高校卒業してからずっと熊本。スタッフはデンマーク人とフィンランド人。日本人は全然使えない。ゲンくん、そんなにやる気なら教えてあげるから事務所に来なよ。でも坂口恭平から学んだほうがいいよ。パソコンは所詮パソコンだから、坂口恭平、あいつは完全リアルだから」

「ま、違う世界もみたいんだろ」

 

 すると旅人からメールが来た。

「娘のひーちゃんが小林さんと仕事してるんだって」

 ほら、こういうことが俺には毎日起きる。

「早速恭平のこと伝えたら、マネージャーさんに電話番号教えたんだって」

 もうこの頃には世界は変わり始めていた。私はまだそれがここまでの変化だとは気づいていなかった。家に帰るとゲンは寝ていた。アオは台湾に修学旅行に行っている。夜はフーちゃんとエッチをした。いつも通りの最高のエッチだった。もう25年目のセックスライフ。僕は新しい概念と経験が混じり合った夢の中にいた。そこで私はいつまでも訓練を続けていた。

 2026年2月5日 

 ここは劇場、私は今日も歯を磨いて、顔を洗って、椎の木で作った白木のドアを開けると、肩幅くらいの細い階段を登った。私の寝るところは劇場の一階部分にある。観客には地下と思われているが、実際には地中ではなく、劇場の突き当たりまで行くと、はめ殺しの長方形の大きなガラス窓が3枚並んでいて、そこに陽光が差し込んでいる。冬の朝、私は冬には必ず鬱になる。

「恭平さんね、あなた、冬が嫌いでしょ?」

 電話口でアコちゃんが同じクラスの女の子みたいにツンツンつついてきた。

「確かに、寒いのだめだから」

「恭平さん、あなた冬を好きになればいいのよ」

「好きじゃないものを好きになれるもんかね」

「あなたは冬のことを、あんまり知らないだけかもよ」

「それはそうかも」

「冬景色とか」

「冬景色? 雪景色じゃなくて?」

「あなた冬景色知らないの?」

「知らない」

「面白いね、恭平さん、何にも知らないんだもの」

「アコちゃん、教えてよ」

 アコちゃんは電話口で、ちょっと待ってね、と一度咳払いをすると、裏声を歌い出した。

 さ霧消ゆる 湊江の

 舟に白し 朝の霜

 ただ水鳥の 声はして

 いまだ覚めず 岸の家

 烏啼きて 木に高く

 人は畑に 麦を踏む

 げに小春日の のどけしや

 かえり咲きの 花も見ゆ

 嵐吹きて 雲は落ち

 時雨降りて 日は暮れぬ

 若し燈火の 漏れ来ずば

 それと分かじ 野辺の里

「なんか聞いたことがあるけど、知らない」

「えー、恭平さん唱歌知らないとー?」

「知らん。唱歌ってなんね」

「尋常小学校の音楽教材として作られた歌。冬景色は作詞作曲どちらも不明なんだけど、美しいよ、朝、昼、晩のそれぞれの美しい冬の姿を歌にして、美輪明宏さんがね、歴史上最も幻想的な歌ってこの前そういえばテレビで言ってた。冬についての歌を好きになったら、恭平さん、冬に鬱にならないかなって思って」

 アコちゃんとは、空海の妻、玉依御前(たまよりごぜん)の別名、阿古屋(あこや)御前の名前から取ったと、アコちゃんの父が言っていた。アコちゃんは現在78歳のぴちぴちギャル。男性とデートをしたことがない、もちろん処女である。なぜ私と電話をしてくれるのか、なぜ毎日、私は石牟礼道子の墓にお参りをするのだが、娘を高校まで送ったついでに高校から車で5分行ったところにある墓地の墓守をしている。アコちゃんむちゃくちゃキュートで色彩感覚のウマが合うのか私の絵が好きでいてくれて、私はよくアコちゃんに絵を贈り物として渡す。

「私は冬が一番好きな季節なの」

「へえ、珍しいね」

「冬は花も素敵なものがたくさん咲くんだよ」

「花ねえ」

「恭平さん、花は好きなの?」

「花は好きだよ、でも全然知らないかも名前を」

「今日も墓に来るの?」

「うん、今から行くよ、もうすぐ着くし」

「じゃあ、秘密の森に連れて行ってあげる」

「森? 熊本に森なんかあるの?」

「あるわよ。私がいっつも歩いているところ。毎日、その森を散歩しているの」

 私はスピーカーフォンで電話している。ポルシェのカイエンファーストモデル。中古車屋で128万円で買った。原価2000万円近くもする高級車のはずだが、隣に並んでいる軽のラパンの方が高かった。

「なんでこんなに安いの?」

「え、そ、それはですね、、、」

 決まりが悪そうな大輔が目を逸らした。私は暇ができると娘のアオを誘ってよく中古車屋に行って、試乗する。それが趣味というか、それは車を買うわけではなくて、いろんな車に乗ってもしもこの車を買ったらどんな生活ができるんだろうと勝手に妄想するための遊びなのだが、その遊びをアオも興味持ってくれて、日曜日2人とも退屈していて、ブックオフ行くか中古車みるかって悩んでいたら、アオが車に乗りたいというので初めて連れて行った。

「事故物件みたいなやつか」

「はあ、つまり、そういうことです」

「ふむ」

 私が運転席に乗り込むと、アオも後部座席でiphoneをいじっている。NewJeansを聴いている。あの五人今頃何をしているんだろう。2人で少し気になったが、今度、ベトナムでも行ってみようよ、と僕は言った。メンバーの1人、ハニは今、自分の父の故郷であるベトナムで生活をしているらしい。アオがそんな話をした。ベトナムに行ってみたい。私も行ってみたい。私はハノイに行きたい。ハノイの漢字名は「河内」なぜか、私の両親の故郷である河内町と同じ漢字なのである。最近、ペルーにもカワチという名前の遺跡があることが発見されたらしい。人が生活している形跡はないが、直径3メートルほどの巨大な石柱が並んでいた。私はその場に立ち、強い光が作り出した私の形をした影をじっと見ていた。ペルーにもハワイにもカリフォルニアにも私の先祖たちが移住している。なんだか、うちの家族は変なのだ、父方の祖父は、車をやめて馬に乗ると言って、整備工場の仕事を畳み、それ以来ずっと馬に乗り、働くこともやめ、花岡山の麓の広大な土地でいつも乗馬をしていたという。父親の記憶の話は私の頭の中で今も太陽の光を浴びている。猿がいた、と父が言った。祖父はとても心優しい人間で、しかも人間だけでなく、いやむしろ人間よりも人間以外の生物に対しての異常な愛情に満ち溢れていたそうだ。なんでそんなに河内のことを調べているのかというと、よくわからない。私は「カワチ」というタイトルの2000枚の小説まで書き上げている。2000枚の小説なんて村上春樹じゃないと出版してくれない。もうこうなったら今年、自費出版してみるかと私は思った。前回は2022年、私はお金についての本を自費出版し、五千部を1週間で完売させた。それができるのだから、なんでもできるじゃないか、もう私は作家ではなく、出版社全体になっている。私は自分で自分のことを丁寧に扱うことができる。2000枚の小説だってきっとできる、きっと本になってみんなが読むことができる。嬉しいな。自分のことを自分で丁寧に扱うと全てが変わる。失望しなくなる。だって、私は私のことを世界で一番愛しているから。そんなふうに自分を捉えることができるようになった。私は私にとってVIPだ。VIPだと思って自分に接するそうすると全てが変わり始める。私という人間が色彩を取り戻し、生き生きと躍動するのだ。

「パパ、この車がいい」

 ポルシェのエンジン音が鳴り響くと、アオは開口一番そう言った。アオは人間以外の何か魂のようなものが見える。らしい。私は見たことがない。しかし、アオは4歳の時から見える。私は怖がることはしなかった。むしろ興味深い。知りたい知りたい。その魂の顔を知りたい。そこで私は4歳のアオに独占インタビューを申し込み、モンタージュ似顔絵を作った。警察がやるようなあれだ。それは目と鼻だけ大きくて、顔の顎の部分に細長い人間のような足が2本くっついていて、手はドラえもんみたいで、頭には7本の人間の髪の毛が上に向いて伸び、風に揺れていた。ぬるい初夏の風がレースのカーテンを膨らませ、レースの隙間をくぐった風の粒子は7本の髪の毛をゆっくり撫でた。私はその風を今も忘れない。つまり、アオはしっかりとその生き物を見ていたのだろう。「かいじ」と「こいじ」。2人、2匹どちらかわからないが、その二つの生き物には名前があった。アオは名付け親だ。いつもどんなことにもアオは名前をつけることができる。アオが生まれて初めて買った本は命名辞典である。今本棚に並んでいるその辞典は真ん中から真っ二つに割れているのをセロテープで接合している。それくらいずっと読んでいた。何が面白いのかわからないのだが、アオは人の名前が好きだった。好きなものがあって素晴らしいね。好きなものを大人になるつれて、人間は忘れていってしまう。だから事故物件だろうが、アオが好きなら、きっとこの車は縁起がいい。私は現金をおろして、そのままポルシェを買った。アコちゃんのところに行くまでにふっと思い出した。ふっと思い出す時、空を見ると、いつも心の襞と同じ音色をしている。柔らかい鱗雲だった。雲の後ろに薄く紫色の下地が効いている。私はつい空を描いてばかりいたので、パレットを持ちながら物事を見てしまう。どうやってこの色を表そうか、いっつもそのことを考える。それで最近はいっつも黄色を使う。なんでだろと思ってたら、文林堂、これは私がいつも画材を買う、家から徒歩5分の充実した画材屋だ、その社長が言った。

「私は共感覚を持っているんですよ」

「どんなふうに見えているんですか?」

「人を見ると、色が見えるんです」

「私は?」

「坂口さんは、黄色ですね。外側に橙色になっていくグラデーションがありますが、やっぱり黄色です。発光しているような澄んだ黄色です」

 私たちは前回の鬱の間に25日間ずっと外に出ず描き続けた大きな100号キャンバスの前に立っていた。それはまさに黄色の絵で、ふと私はピカソの青の時代からインスピレーションを受けて「The Yellow Period」と口から漏れた。黄色の時代。なんかオリジナルなかんじ、気持ち良い、黄色って好き、黄色ってユニークで温かくてほのぼの子供っぽくて生きてるって感じがする。ちっとも寒くない。

「あと、恭平さんもまた共感覚の持ち主なんですよ」

「へえ、それも見えるんですか?」

「いや、私は色しか見えません。でも、恭平さんは」

 恭平、という言葉を発することに慣れている、画材屋の社長と私はそんなに慣れていない。しかし、画材屋の祖父、つまり、この画材屋の創始者が、六部恭平という名前であることを私は父から知らされた。私の名前坂口恭平の恭平は、この六部恭平からいただいたものだという説明を一度だけ聞き、私はどうしてこの人の名前が私の名前になったのか必死に調べた。元々私は坂口真理男(マリオ)という名前をつけられたそうだ。父方の祖母から。文藝春秋を毎号読んでいた読書少女だったというサイという名前の祖母は私に真理の男という名前をつけた。なぜマリオ!しかも時は1978年。宮本茂がスーパーマリオブラザーズをこの世に生み出したのは1985年。つまり、私は初代マリオだったのだ。しかし、私の母がそれを断固拒否、その名前にするなら離婚するとまで拒否し、困った父は祖母に代案を要求、完璧な名前だと自負していたサイは突然の変更にびっくり仰天、しかし、仕方がないと、サイが小学生の時に好きだった、小学校の中で一番頭がよく、一番字が綺麗で、一番絵も上手で、歌も上手な六部恭平に目星をつける。坂口恭平。サイは実は細川藩の妾の占い師をやっていたので、いっつも名前を書いては、画数、誕生日、さらには彼女自身が興味を持っていた古代ギリシア文化の占いなど様々なものを混ぜ合わせ、独自に開発したカード占いの名手だったので、何度も占った結果、芸術家として社会的頂点に立つ、と、こんなんでましたので、マリオという名前を下地の中に隠し、私は坂口恭平となった。しかし、実際は私は初代スーパーマリオなのである。躁状態になった時はスターマリオになって、私は救世主になったと勘違い東奔西走し人々を助ける蘇生するお金がないならどんどん配るお金配りおじさんになる。それを妻は救世主(メシア)になって走り回るをもじって、メシアメシア、メッシ、サッカー選手、ドリブルの名手メッシ、キラーパスの天才メッシ、と重ね合わせて「恭平、少しメッシになってるよ」と優しくアドバイスしてくれるそんな妻が私は好きだ。それなのに、私は月に一度必ず誰か他の女性を好きになる。すぐ恋に落ちる。鬱に落ち、鬱が明けると、恋に落ちる。落とし穴ばかりの人生だ。マリオだからなのかな。世界中の土管に体を挿れたくなる。そうやってすぐに別の女性の土管に私は自分のペニスをマリオと呼んでしまっているからこんなことになるのだ。昔はよく妻のところに、今月の好きな人、みたいに、ポパイの雑誌じゃないんだから、彼女を紹介したりして、我が家で泊まってもらって、息子と娘に紹介するというキチガイぶり、しかし、最近は私は大人になった。そして、普通の日本人男性の平均と変わらないようになった。土管にマリオが入っても、妻に紹介したり、口で言ったりしなくなった。こうやって、小説を書いている方が楽だ。小説は全部嘘だからなんでも書ける。とても都合の良い、最高のメシアだ。

 馬酔木の花が揺れて、それはまるでウィーンの街頭のように見えた。私はまだまだ描きたいことがたくさんある。歌もたくさん歌いたい。今日は石牟礼道子の「水はみどろの宮」の朗読劇をする。全部フィクションってことにしちゃえ、したくてしたくてたまらない。沖島勲という男が撮った映画のタイトルだ。あの男は恐ろしい。優しい。私は彼が脚本を担当した日本昔ばなしというテレビアニメで育った。一度感謝を伝えにわざわざ会いに行ったことがある。玉川上水沿いを歩きながら。みんなが自殺したあの川だ。ばかやろ。死んでどうする。地獄だろうがなんだろうが、昔話は自殺なんかしないんだよ。どんどん悪いやつズル賢い奴は死ぬのに、針山に突き刺さって死ぬ、それなのに、主人公である私は、真っ直ぐ前しか見ずに今日も真っ直ぐ歩く、私は森の中を歩いていた。円椎(ツブラジイ)の巨木が目に入った。紋様のような木肌、アコちゃんはその木肌をスケッチしている僕の背中から顔を覗かせて「恭平さんって素敵ね」と言った。山の神にお参りした。春の森に入った。菫の葉っぱが、今か今かと外に出たがって戸をあける冬の子供のようにザワザワしている。花は3月になったらね。綺麗よ紫のスミレ。木蓮がもう我慢できずに漏れ出てきそうだ。蕾が私のいきたいけどイカずに女の子のイン部を舐め続けている時の腫れ上がった睾丸のように膨らんでいる。向こうにはドイツのワイマールイルム公園を彷彿とさせるコブシの林が。アコちゃんは私に森の歩き方、彷徨い方を教えてくれている。私は教えてもらったばかりの唱歌「冬景色」を歌っている。寒苺が誰かに食べられている。鳥かな猪かな。茶梅は咲いて赤の裏地はワインレッド、しかし、まだ椿は蕾のままだ。譲葉はアコちゃんだって初めて見たってさ。細い幹を指差したアコちゃんの方向に私の目玉は少しずつ幹の先の先の先端まで、幹は重さで、右に大きく曲がり、そこからさらに枝葉が生えていく、私の成長と分岐と植物の成長と分岐が重なっていく。私はバッグからリンゴを取り出した。輪郭の線的な形象を空間の領域、つまり春の森の隣にあるこの冬の森にまで広げた。もうすでに私の中には創造的なものの秘密の躍動が感じられるのであるが、このあなたが今読んでいる平面のスクリーンから立体へと私の現実へとさらに進む過程を一つ一つ紐解いてあなたにプラモデルの説明書のように見せたい。この秘密の根源とはどこにあるのか。私たちは流れを遡りながらその源泉に達しようと、この秘密に満ちた地点に近づこうとした。この世の全てを変える、などと大それたことを考えなくても良い。できるだけそこに近づきたい、私が思い描くあの理想郷に一歩でも近づきたいという欲求を、私は抑えるべくもないのである。

「恭平さん、あなたは共感覚の持ち主マリオです。私は人を見ると、色が見える。人から色、単線です。しかし、恭平さんあなたは少し違う、いや随分違う、つまり、あなたは空気の粒を一つのぞいただけで深淵の宇宙が見えるのです、その虚空にぽっかりと浮かぶ一つの惑星を見つけることもできます。グーグルアースみたいに小さなあなたは大きくなってその星の一つの島を見つけ、少しずつ拡大し、村の様子まで見えてくるでしょう、レンガ積みの橋を渡る、郵便屋さん、そのいくさきの3階建ての漆喰で塗られた一軒の長屋、その2階にいるアコちゃんの姿まで見える。丁寧に植物、それは一番最初に春を告げる万作の花に水をあげているアコちゃん、両開きの木製窓は風を吸い込み、あなたはドローンとなって、戦争に使われていたものを再構成し、部屋の中に無音のまま入り込み、アコちゃんが終生大事にしていたポプラで作った洋服箪笥に近づいていく。アコちゃんが秘密の三段目の箪笥を開くと、そこには箱庭療法ばりに、引き出し全体にもう一つの小さな村が発生し、もう日が暮れて、家々の灯が一つ一つ鉄琴を静かに叩くように明るさを生み出していった。恭平さん、あなたはそこまで見えちゃうのです。つまり、あなたは人→色の単線ではなく、空気の粒一つから宇宙全体からアコちゃんが住んでいた漆喰の家だけでなく、その引き出しの中のドールハウスジオラマのもう一つの村、その村の夜の帳を織る人々の製造工場の平面図まで描けるのです。つまり、空気の粒→宇宙、惑星、島、都市、村、人々、家具、おもちゃまで具体的に色味をつけたまま思い描ける、共感覚者の中の共感覚者、共感覚界の建築家、いや、それは天地創造をしていると言えるでしょう。つまり、恭平さんあなたは世界最高のキチガイなのです!」

 

 2026年2月6日

 苦しみは実は道具かもしれない。鬱もまた私にとっては大事な力となっていた。そんなことを教えてくれた人はいない。みんな健康になろうとしている。みんな落ち込まない人生を求めている。みんな、自分を攻撃しないようにしたいと願って、変な自己啓発本ばっか、本屋で買うのが恥ずかしくて、Kindleで読んでいる。スマホばっか見てる。友達はいない。それでも健康になろうとしている。みんなと同じように会社で働けて、土日は友達と一緒にどこかへ遊びにいくようなよくわからん退屈な人生を求めて、実際は風呂上がりに、ぐったり、風呂も入れず、パジャマにも着替えず、スマホを見ている。スマホゲームだ。スイカゲーム。ショート動画をどんどん上にスライドさせて、どうでもいい、中学生の金髪の男の変な踊りを見たり、ピンポン玉を跳ねて跳ねて、遠くのテーブルの上のプラスティックのコップの中に入る瞬間をみて、一度興奮して立ち上がってみるが、そこは1人部屋私の真っ暗な寂しい部屋。そんな寂しい生活なんてしちゃだめだ。明るく生きよう。健康に。どんな時もしょげずに自分を否定せずに、お風呂にも毎日入ろう。そんな浅い底じゃ知れてる。でもその頃、みんなはしきりに健康になろうとしていた。落ち込んじゃいけない。失敗しちゃいけない。サボっちゃいけない。怠けちゃいけない。いつもしっかりしてなきゃいけない。友達から電話。元気そうなふりをする。実家から電話。声でバレるから風呂入ってることにして、後でメールをする。そんなことしなくていいよ。啓発本を読まなくていいよ。治さなくていいよ。そのまま落ち込んでろ。這いあがろうとするな。むしろ落ちていこう。自分の意志で一歩ずつ、滑落しないように気をつけながら、下に下にと私は海の底へと降りていくようになった。スマホは相変わらず見ている。好きなんだよ。好きなんだから、どんどん見ていこう。そのままでいい。もっと落ち込む。落ち込むことを恐れなくなった。健康になることを求めなくなった。それからは少し楽になったわけではない、相変わらずきついままだ。ところがきついままではだめだ、とは思わなくなった。苦しんでいる自分を否定することは無くなったのだ。しっかり苦しもう。しっかり悩もう。友達には会えなくて良い。会えない時は会えないから。会える時は会えるし。私は現状を否認しなくなった。健康という呪いから解放されていた。

 私は躁鬱病と言われているが、結局、こんなものは存在しない、とツイートすると大炎上した。人の意見を黙って聞くことができない人たちがたくさんいる。無視すればいいのに無視することができない。ついついツンツン仕返ししてくる。まるでお母さんだ。この世には存在していないが、ネットの世界にはこのお母さんがいっぱいいる。少しでもだめなところを見つけたら、揚げ足取って、そのダメなところを早急に摘もうとする。なぜか。なぜお母さんはそうやって、私がやることを一つ一つ、それはだめだ、もっとちゃんとしなさい、もっともっと、今のままではだめだ呪文をかけ続けるのだろうか。私はそんなことを真剣に考えていた。恥ずかしいと昔は思った? いや思ったこともない。私は自分探しをしていた。この四文字もう大人になっているのに恥ずかしい。いや、私は恥ずかしいと思わなかった。恥ずかしくないの?とは言われたことがありそうな気がしたが、実際は言われたこともなかった。

「おい、坂口」

 九龍ジョーが電話をかけてきた。

「どしたどした」

「お前、漏れてる漏れてる、すぐ漏らしちゃうんだから」

「ついついTwitterしちゃうんだよね」

「これフィクションなんだから」

「坂口恭平劇場だもんね」

「Twitterにいるやつはキチガイだから、これがフィクションだなんてわからないから現実に引っ張り出すなって、どんどん原稿を書けよ」

 九龍ジョーはいつも僕の動きを遠くから時々眺めては、僕の立ち回りに関して、一つ二つ的確な助言をするパートナーだ。Twitterのアカウントも元はと言えば、こいつが自分が担当した私の本の宣伝になるかもと思って、16年前に立ち上げたものだ。今では九龍ジョーはいくつかのゴールデンタイムの特番の構成などもやっている。つまりこいつは売れている。今、エンタメの世界では誰も面白いことを考えることができない。水ダウも結局はドッキリ企画でしか視聴者を楽しませることができない。どこもかしこもクイズかドッキリだ。クイズーダービー、なるほどザ・ワールド、元気が出るテレビを超えられていない。でももっとなんかあるだろ。九龍ジョーは世界の年収がいくらかを現地取材で組み立てた番組の構成をやっていた。アマゾンの社員の年収より俺の年収の方が遥かに多かった。私はそれなりに頑張っているじゃないかと鬱の時にそう思ったのだ。

「あのさ」

 九龍ジョーは私にまた新しいアイデアを注入しようとしている。

「どしたどした」

「ドストエフスキーの遺伝研究センターってのがあるのよ」

「ほう」

「それで調べるとさ、ドストエフスキーの先祖って、自殺、殺人、賭博、アルコール依存症、薬物中毒、とにかくそんな人のオンパレードでそりゃもう大変だったってよ」

「まあ、想像できるわな。あの文章、てか読んだことないけど」

「読んだことないお前が好きだよ。坂口は、何も読む必要ない、お前の体が物語なんだから。でも、ちゃんといっつも芯当ててるからなあ」

「そうやって褒めてくれるからやりがい感じれるよ。持つべきものは天才的な編集者だね」

「今、お前全部見えてるからかけるかける書きなよ」

「しかしきついよなんでこんなにきついんかね」

「ドストエフスキーもきつかったらしいよ。自殺寸前だよ。アルコール、賭博もやったしね、自殺もしたくなった」

「自殺しそうになると、てんかんが発生してね」

「そうなると、自殺から、現実滑落へとスライドできる。これ自殺防止の術なり」

「俺の躁鬱もそんな感じなんだろうなあ、ドストエフスキーは先祖たちのそれこそ旧石器時代からの大変な遺伝子の水出しコーヒーの最後の一滴だったんだろうねええ」

「そうそう。よく自殺せずに書き切った。坂口、お前も書ききれ」

「アタボウよ。自殺することはないな、もし自殺したらそれは殺人です」

「なんか聞いたことあんな。で、それで坂口」

「ほいよ」

「ドストエフスキーの遺伝研究センターの面白いところは、先祖だけでなく、子孫もまた調べたってことなのよ」

「確かに病跡学とかあるけど、全部、過去の話だもんね」

「そうそう。それでドストエフスキーの子孫の自殺者がゼロだったってよ」

「なんと」

「殺人もゼロ、中毒者もゼロ、でも誰も小説家にも芸術家にもなってなくて、言ってみりゃ、みんな穏やかに幸福に、つまりは、平々凡々の人間たちの慎ましい生活が営まれたらしいのよ」

「なるほど、ドストエフスキーを中心点として、先祖からのリレーされてきたトラウマの化石が解消されたってわけだ」

「そうなの。で、俺が思うに坂口よ、今さ、お前もそんな感じなんじゃないかって思ってるわけ。ジュラシックパーク」

「スピルバーグ好きだけど、あの人もそうだよね、いつも離婚寸前、もしくは離婚してるよね、あの人の映画の子供達の環境」

「そうだろ、それと戦争体験と、ユダヤ人だから、もちろん、ホロコーストもやる。つまり、」

「おれは家庭内虐待の連鎖、母ちゃんからおれ、しかし、その母ちゃんもまたおそらくなんらかの虐待に巻き込まれていた可能性がある」

「もう始まってんじゃん物語、恭平いっちゃえ、いっちゃっていっちゃって~~~~~ ただ~~~!」

「粗品きた?」

「Twitterに書くなよ。ここで小説しろ。全部真実なのは知ってる。でもTwitterに書かない、そして、小説と名付けて書く、これ真実を人々に伝える重要な技なり」

「さすがだね九龍ジョーゴールデンタイムで番組構成する天才だもんね。書いてくるわ。グローヴ座に戻ります」

 私はそのまま市役所へと向かった。先祖子孫管理センター、名付けて戸籍課の親友、山際さんのところへ。63歳の超かわいいおばちゃん。山際さんはいっつもsacaiの洒落た仕立ての良い服を着て、化粧はいっつも何にもしないのに、お肌色艶よく、独身で、私は時々、山際さんのチーズケーキが好きなので、東京西荻窪に住んでいる中国茶の先生、ヤンから送ってもらったジャスミン茶をお土産に(山際さんがこのヤンの選別したジャスミン茶が本当に好きなのだ)枝つきレーズンがのったその低いシャコタンのキンキンに冷えたチーズケーキを一口食べると、いつもなぜか泣いてしまう。感動のあまりというのかその山際の趣味、物を選ぶ目の美しさ、その目で私は物事を見ている、私には風景が映った。右手にはまだ真鍮の細身のデザートフォーク。食べ残った空気の粒のような惑星をパクツキ、ブラックホールの中にどんどん流れ込む時空に私もまた飲まれ、山際さんが好きです!山際さんが好きです!チーズケーキが好きです!官能的には一見見えない山際さんのシャツボタン締め切ったカーテンの向こうのおっぱいがおそらく白いでしょう必ずや柔らかいでしょう。パウダースノーで作られた雪だるまのような山際先生のあの二つの惑星を私は鮒のように鯉のようにあの池で人間たちの振り撒く食パンの切れ端を今か今かと待ち望みながら口を開け奥の宇宙、その虚空に浮かぶ私は一つの星です。声もあげれません。私は光るのみです。しかし、この光とて山際先生のその雪だるまのような二つの太陽。sacaiの薄地の赤みがかった濃紺のシルクから漏れ出る微かな光線が、私に今、思っていることを全部伝えなさい、山際先生への全ての想いを簡潔な言葉で、よくわかる日本語で、恥も外聞もない、そんなものあるかそんなこと知るか、ここで登場、素直な心だ、いろんな経験を経た女性が好きなあの年下の男の子の純粋な下心だ、今こそ伝えよう、口を大きく開けて、山際先生!

「恭平さんどうしたと?」

「あ、山際さん。あのね、おっぱいが」

「戸籍謄本かなんかいると?」

「あ、そうだった。家系図を描きたくて、手に入る戸籍を全て手に入れたいんだけど」

「おっけ、ちょっと待っててね」

 山際さんは手際よく、それでも午前中に行って、私は途中でランチも食べた市役所の地下にあるうどん屋は私が昔よく家族で行ってた、昔懐かしいうどん屋がなくなることを、熊本の市民は悲しんだ、市役所の職員もみんなお昼に行ってた、みんなの憩いの場所だった、蓑田屋といううどん屋は当時の市長の釜島がそのまま東京建物園のようにそのまま移築された市役所の地下にあった食堂が老朽化で改築をしなくちゃならないので、工事をしていたのだが、そのままそこに蓑田屋が入っただけでなく、蓑田屋意外にも焼きそばの名店、今は亡き富士食堂や、モスバーガーのアドバイザーであり日本で初めてオーガニックという言葉を使い、生産農家の名前を表記するというその後みんなが実行するようになる伝説的なディレクションを編み出した天才料理人冴島さんがやっていたデイブスというお店は、ビーフウィズライスというサイコロステーキピラフを出す店まで再現された。当時の内装のまま、それはほとんど記憶を頼りに建築設計された。というわけで、熊本市役所の地下は懐かしの名店地下街へと変貌し、今では市役所にくる申請などの人よりもお客は多く、そこは戸籍謄本が取れるレストラン地下街という永く栄えた。私もそこで腹一杯になった。

「できたよ、結局戸籍は48枚あった。恭平くんから遡れるところまで、明治の始めくらいまでは遡れたよ。江戸時代はここにはないから」

「これで家系図ができるのね?」

「うん、大体、いけると思う」

 山際さんはその日の夕方、私を家に誘ってくれた。山際さんは大きな和紙を広げ、墨をすり、筆で坂口恭平と書いた。そして、1人ずつ、私の先祖を書き出していったのだ。

「まずは父方ね。あなたのお父さんは長男、でも長女がいるね。もうなくなってるけど」

「そっか、そうなんだ、でもなんか言ってたかもしれない。墓には名前が書いてあったような気がする」

「それで弟さんね」

「今、失踪している。僕はそれを見たんだよね。中学生の頃、金の無心にきた弟に、血のつながっていない母がおにぎりを投げたような気がする。金は貸さない、今すぐ出ていけ、私家族を壊すな、みたいに、泣き叫んでいたからびっくりして見ていた。僕は、全然壊れないし、家族も大丈夫、金だってうちはそんなになかったわけじゃないと思っていたから、少しくらい貸してあげたらと思ったのよ。なぜなら、父の弟から僕は昔、毎年1万円お年玉をもらっていたから、小学3年生って、高くて5千円くらいじゃない? でも弟は違ったんだよね。一万円。弟も妹も区別なく一万円。なんかニコニコしててね、今考えると躁状態だったかもしれない。父方の家系にはどうやら躁鬱の人間がいたらしいのよ。それこそ父の父も、車をやめて、馬で町中を走り回っていたらしい。そうかと思うと、ずっと家に引きこもっていた、僕は元気な祖父の姿を見たことがなくて、黙って、ストーブで餅を焼いてて、それを床に敷いた新聞紙の上に投げていた。その映像が今も目から離れないから」

「そっか、それで母方の方はね」

「母ちゃんは長女だよね?」

「うん、そうだね、それで、妹さんがいるね?」

「妹はいないよ、母ちゃんは弟2人だよ」

「でも変ねえ、妹さんの名前が書いてある二女って」

「え」

 私は初めてその話を聞いた。

「しかも、もう亡くなってるわ。生後2ヶ月で亡くなってる」

「え」

「お母様が2歳の時みたい」

 私はそんなこと聞いたことがない。正月、家族で行っても、親戚と馬鹿笑いして楽しかった時も、祖父が生きていた時も、祖父が亡くなった時も葬式の時もみんなで麻雀はしたが、妹の話は聞いたことがない。墓参りって、納骨堂だけど、それでも、祖父の父、つまり、私の曾祖父曽祖母の写真は見たことがあるが、妹は写真も当然ながら見たことがない。嘘としか思えないのだが、しかし、戸籍上では母ちゃんは妹がいて、2歳の時その妹は生後2ヶ月で亡くなっていた。私はもうその時すでに母と連絡を絶っていたので、このことを確認することができなかった。そして、同時に私は以前、先祖巡りをしているとき、母の実家の周辺で聞き込み調査を行ったのだが、何軒かのおじさんたちがこぞって、母ちゃんが子供の頃、うちで預かっていたという話をしていたのを思い出した。なぜ母ちゃんはそんなふうにいろんな家で育っていたのか。なぜ祖父と祖母は母ちゃんを人の家に預けていたのかと不思議だったのだが、妹の存在に気づいたとき、ふっと、祖父が死んだ時の祖母の姿が目に入ってきた。

「天井がぐるぐるまわっっとる~~恭くんどしたらよかとね???」

 祖母は畳に寝転がり、手で頭を抱えていた。私はあちゃーっと思った。思ったが、私はいつもこういうとき焦らない。

「じいちゃんが死んでショックで鬱になったんだろ。ぐるぐる回っとるなら、ちょっと点滴とか打った方がいいかもしれない。精神安定剤でも飲んだ方がいいのかもしれない。運転するけん病院まで連れていくばい」

 私は大学を卒業したばかりで、妻のフーちゃんと会ったばかりだった。

「なんであんなに死ぬことに動転するんやろって不思議だったんよね。おれ人が死んで涙を流したことがないから余計に不思議だった。でも、あれは妹が死んだことを思い出したんじゃないかね」

「それはあり得るかもね」

 山際さんは美味しい珈琲を淹れてくれた今はもうおっぱいどころじゃないんだろうが、しかし、私はまだそのこともまた頭から離れず、どちらもぐるぐると寒い冬の雪空の中で舞っていた。

「つまり、母ちゃんが2歳の時に、妹が亡くなり、祖母、母ちゃんの母が鬱になった、パニックになった、長い間嘆き続ける毎日が続いた。祖父は、自分が膵臓癌の末期だったのに、毎日、ベッドから起き上がり、祖母に電話してたから、それくらい祖父は強いし、妹が亡くなって落ち込みパニックになっている祖母を助け続けたような映像が見えた。母ちゃんの世話ができるような余裕はなかったかも」

「つまり、、、」

「こりゃ、おれが虐待されているとかじゃないかも、もちろん、俺も大変だったけど、こりゃ、先に、母ちゃんがやられとる。母ちゃんは2歳以降、母親からの愛情がもらえてなかったんじゃなかろうか。代わりに私が死んだらよかったのに、そしたら、私だって、嘆き悲しむくらい可愛がられたのに、なんで私じゃなかったんだろう、死ぬのは私だったらよかったのに、って母親がさけんでいた。1人で叫んでいた。誰かに伝わると、妹の死が表沙汰になり、また悲しみが再来するから、母ちゃんはいつも1人で海の近くで堤防の横を歩きながら、龍神様の前で、叫んでいた。1人で叫んでいる母ちゃんの映像があらわれると、私は大人のまんま、47歳の私は、母親を抱きしめていた。そんなことないよ、死んだほうがよかっただなんて、そんなことないよ。みっちゃん、あなたは本当に素敵な人よ、色彩感覚に優れていてその繊細なところがおじさんは大好きだよ」 

 みっちゃんは私が何を言おうと納得しなかった。

「私は死んだ方が良かったったい。そっちのほうがよかもん。生きとるうちは人から大事にされんけん。人から大事にされるには死んだ方が良かったとたい。なんで私じゃなくて妹だったんだろかね。それだったら、変な人と結婚せんで良かったし、お前を産むこともなかったとに」

「母ちゃんて、そぎゃんこと言わんばい。自分が悲しくなるだけばい」

「悲しくなんかならんよ、私はずっと2歳の時から、氷になって固まっとるけん、なんも楽しくなか、何も感じないとたい、私は大事にされるような価値がある人間じゃないけん。死んでも誰も嘆いたりせんとだろ。私はそれが悲しいたい。私は自分が妹より先に死なんかったことば今でもずっと後悔しとるけん、私の人生はずっと、納得がいかんとたい。ただ後悔するだけたい」

 ところが、私の体の中の母は違う動きをした。今、口にしている大人の母ちゃんはそのままずっと後悔している。しかし、私の中の母ちゃんは小さな、2歳の母ちゃんで、母ちゃんは私と一緒にいて安心してくれているように感じた。私が育てるから、一緒にいようと2歳のみっちゃんに言うと、みっちゃんは言葉の意味がわかっているのか、わからないのかそれは知らない、しかし、みっちゃんはそれ以来ずっと私の横にいるのである。今もいるし、今も、みっちゃんは私にぶら下がって、遊んだりしている。今では慣れてみっちゃんは私たちの家族である。

 家で私は泣いていた。妻は仕事に出ていた。ゲンは土曜日、午前中、部活に行っていた。家の中にいたのは、僕とアオの2人、アオは洗面所の鏡の前で、髪をカールしていた。アオは私のことを心配したのか、ドライヤーを止めると、私の近くに寄ってきた。

「泣きたい時は泣かないとね」

「わーーーーん」

 私は子供みたいに雄叫びを上げながら泣いた。止めようとする大人の感覚を振り払うようにわざと子供っぽく声を出して泣いた。

「どこにいるのパパ」

 アオは私を探している。

「どこて、食卓にはおらん、ここはテーブルで椅子に座ってるけど、頭はどこか宇宙の彼方におって、おれはいつも現実からカラカラカラっておっこちていくから、もうどこにいるのかわからんし、どうやって戻ればいいかわからん」

「それでもいいじゃない。パパはそれで本を書いたり、歌ったり、絵を描いたりして仕事になってるから。ほんとすごいと思うよ」

「母ちゃんがかわいそうで、妹も隠されてかわいそうたい。母ちゃんがほっとかれてたんよ。別にばあちゃんに怒るわけじゃないけど、それだって虐待よ立派な、母ちゃんが困ってたんじゃん、そうやって、何回も何世代も悲しいことがバトンリレーされとったんじゃないとね」

「でも、私は悲しくないし傷ついてないから、そんなみんながみんなバトンを渡されているわけじゃないと思うよ」

「でもおれも苦しいけん。アオもどうなるかわからんけん」

「そんなことないよ。本当に。パパがどう感じてもいいけど、私はとっても幸せよ今」

「わーーーーーん」

 私は子供になっていた。

「ありがとう」

 アオが言った。

「ありがとうって、これからどうかわからんたい。俺、もうこれからずっと何も作れんかもしれんし」

「私を見つけてくれてありがとう」

 アオが私に向かって言った。私はアオの顔を見た。見たことのない顔をしていた。穏やかで、あどけなくて、高校生なのに、生まれたての赤ん坊のような顔をしていた。

「私はずっとみっちゃんが好きだけん。お父さんとお母さんも好き。弟たちも好き。でも、恭くんが見つけてくれなかったら、私は、ここにいないから」

「えっ? アオ?」

「アオちゃんにもありがとうって。アオちゃんは空っぽだから、私の入る隙間がある。あなたがいつまでも苦しんでいるから、あなたはどこまでも何かを探る、原因を見つけようとする。古代ギリシアよね、因果律。恭くんはどうしたって、何か理由があるはずだ、これは自然だ、これは生まれつきだ、ってすぐに判断しないどこまでも探る探る車に乗り、聞き込み調査をする。戸籍を集める。私を探し出したのは、そのあなたの苦しみのおかげだから。恭くんは辛いのかもしれない。でも、私は今、この瞬間、初めて、現実のこの世で意識を持って、私はあなたを見ることができている。私は今、初めて生まれたのかもしれない」

「おばさん?」

「そう私はおばさんの生まれ変わりよ。あなたのお母さんの妹の生まれ変わり。私はアオだけど、私は恭くんを選んで生まれてきてるから」

「アオ?」

「小学生のとき、後ろに誰かがいるって、言った時、パパだけ信じてくれて助けてくれてありがと。パパも後ろに誰かがいたことがあるの?」

 アオが聞いたその瞬間、体の重みが一気になくなって、肩が楽になり、私は、目を開いた。アオはまだ髪をカールしていて、ドライヤーの音は途切れずに聞こえている。

「ある」

 おばさんがそのまま雲の上までゆっくり浮かんでいった。

 今まで一度も思い出したことがありません。私は完全に忘れてました。私はそれを今、思い出しました。

 私はこれから、生まれて初めて、その人と会ったことをこれから話します。

 それは37年前のことでした。

1988年2月8日

 私は人混みが苦手だ。1人でいるのが好き。1人でいると、私は円グラフが出てきて、それは楽しい時間の作り方。私は鉛筆で丸を描いて、それは朝一番に始まる、まだ誰も起きてきていない。家族はみんな寝静まったままだ。町もまだ眠っていて、新聞配達員だけが私の遠くの親友だった。彼らも知ってるはず、この時間はゆっくり流れる。時間の流れ方が朝と昼と夜で違うと気づいたのは、やっぱりこの円グラフのおかげだ。僕はどんな時もまずは新しい朝に挨拶するところから始まる。いつも頭の中に音楽が鳴ってる。今日のこの今の瞬間だって、いつか思い出すときがくる。僕はいつも不思議な気持ちだった。今を思い出す、って言うんだ。そんなことママに言ったら突かれてしまうと思うけど。僕はいっつも歌を歌うから。音楽がずっと鳴り響いていて、僕はいつも森の中にいる。ママはそんな場所なんかないって言った。

「あんた何いいよっとね。あるわけなかたい団地の中に森なんか。フェンスばっかたい。遊び場だってコンクリートで、植栽がいくつか植わっとるだけでしょうが」

 ママには見えてない。ママはそこにあるのに、いつもないって言う。あれは嘘を言いよっとだろ。なんで目の前にあるのに。虫も全然ママには見えんとね。ヤモリが嫌いなのかな、僕が持って帰ってたら、怒った。生き物をそんなに粗末に扱わんとよと母は言った。ヤモリは尻尾切れたって気にしないのに。

「ヤモリは逃げるために自分で好き勝手に尻尾を切るとよ。そんで尻尾も動くとだけん、ちょっと見てよ」

 僕は尻尾を強く引っ張った。

「恭くんせんよ!」

「違うけん違うけん、痛くないかどうか知らんけど、これはヤモリが好きでやりよっとだけん、ほら、尻尾も」

 切れ落ちた尻尾はミミズみたいに自由に動いていた。僕は手のひらの上に乗せてママの顔に近づけた。

「もう怖いもん。汚かって。もうでけん、タカちゃんと一緒におったけん、そぎゃんことなったとよ」

 またタカちゃんの文句ば言う。タカちゃんはもうおらんけん。もしかして、タカちゃんと引き離すためにパパは会社を引っ越したんじゃなかろうね。なんでそぎゃんことすっと? 僕が一番大好きな親友をママは嫌ってた。僕もその部分のママを嫌ってた。タカちゃんはなんでも教えてくれたのに。4歳の時、横断歩道を渡らず、目を瞑って道路を渡る方法だって、タカちゃんが教えてくれた。右を見て、左を見て、また右を見て、左をちょっと見て車がいなかったら、さっと目を瞑って渡ってごらん。最初は怖かったけど、それでも練習したけん、今ではどんな時でも目を瞑って渡れるようになった。

 でもタカちゃんはもうおらん。どこに行ったとね。そうじゃないたい、僕がおらんくなった。タカちゃんのところから。テンキンだって、パパがテンキン、テンキンが好かん。これだっていつか思い出す、今を思い出す、僕はいつも今を思い出すから不思議、知らんばってん、今、ヤモリの尻尾が動いてるって、大人になった僕がニコニコして見とる、そゆこっかな。思い出すて知ってたけん。だけん、何やる時も、思い出すときのこと、髭が生えてるおっちゃんがおったり、多分それおれだろ、昔から面白いことやったとき、これいつか将来、こんな瞬間があったって思い出すって知ってた。ママはヤモリが嫌いなわけじゃないのも知ってた。怖かったんやろ。ママはすぐ怖がるけん。ママは小ちゃい子のごたあ。なんでも怖い怖いて。そりゃ最初は怖いたい誰でも。でも慣れたら可愛いとよ。ヤモリのヤーちゃんは可愛いとよ。

「で、今日どうする? 天神地下街行こお」

 ママがみんなを誘ってる。誘ってるというか、決まってる。ママが言ったら、その日は誰もママには逆らわない。

「わーい、服買お服買お」

 妹と弟が喜んでる。僕は少しも嬉しくない。服はまだ破れてないのいっぱいあるし、服を買う時いつも恥ずかしい。自分に似合う服を選ぶの難しい。自分が好きな服はあるけど、それをママが喜ぶかわからん。結局めんどくさくなって、ママが好きな服をそのまま黙って買ってもらう。そりゃそれで、可愛い服なんだろうね、みんなに褒められるけん。でもたい、全然嬉しくない。全然楽しくない。だって、本当に着たい服はだめだけん。本当に着たい服はいっつもバカにされた。ママはよく人を馬鹿にした。悪気はないって言うと思う。うん、それは僕もわかる。多分悪気はない。でも、ママの口調が、僕は怖い? いや怖くはない。もうなんかめんどくさい。服、別に好きじゃないし、いやそれも違う、僕は服を選ぶのが好き。だけど、僕が好きな服はいつも笑われる。ママに。ママが笑ったらそれが正解になる。法律みたいになる。ママが笑ったら、僕の選んだ服は間違いってことになる。妹も弟も僕に向かって笑っていいことになる。ムカつくけど仕方がないよ。この国はそういう法律だから。ママがいつも決めてた。僕が好きなことは、この国では喜ばれない。僕は1人でいるのが好きだし、ゆっくりするのが好きだし、僕は色が好きで、いろんな色を塗るのが好き。でもママは200色の色鉛筆は買ってくれた。なんでも水で濡らせば水彩絵の具になるらしい。そうやっていつもママは自分独自の選択で、私たちが使う道具を決めていた。もちろん、200色は嬉しい。でも、水に濡らすはしない。なんで濡らさないのと怒られたこともある。でもママが絵を描いているのを見たことがない。だから、なんでママはこんな色鉛筆を買ったんだろう。表紙に水着を着た、ほとんど裸の女の人が、ブロンドの髪の女の人がサーフィンに乗っている。僕は恥ずかしかった。僕は女の人の裸を見るのが恥ずかしい。ママはそれも笑う。なんで恥ずかしいのね。裸じゃないし、ビキニだし。気持ちをわかってくれない。でもママはいつも僕に、あなたは私がこんな良いものを買ったのに、持っていかないだなんて、使うのが恥ずかしいって、なんで私の気持ちをわかってくれないのって言った。もうこれは敵わない。この人には何を言っても無駄だ。僕が辛いことなんかとりあえず後回しだから、ママが選んだものが一番だから、なんでそれを嫌がるのか、ママは本当に心からその意味がわかっていなかった。こうなったら、もう僕は好きにする。なんかその感じが気持ちよかったったい。もう言っちゃえ、どうせ、何をやっても笑われるけん。どうやっても僕は変な人、おかしな人、おかしすぎて、うちの子じゃない、どこかで拾ってきたって、寿屋で拾ってきたってママは言ってた。妹と弟はママとパパから生まれたらしい。僕は違った。僕はデパートで生まれた。そんな赤ちゃんを拾って良いと?って聞いたことがある。ママは真顔になって、良いわけないたい、と言った。もうどっちかわからん。ママが言っとることはどっちか全然わからんかった。からかっとるんかね、からかっとるわりには真顔で真剣で、僕はママクイズに外れないように外れないようにするけど、いつも外れる。弟はいつも外れない。どっちでもダメだから、それだったら僕、自分の好きなようにしようってどこかで決めたことがある。どうせ笑われる。僕は誰かを馬鹿にして笑ったことなんかない。人は人だけん。僕の友達のじゅんいちはエジプト文明が好きで、アイくんは楳図かずおのホラー漫画を全部記憶してた。みんなそれぞれ好きなものがあって、僕も同じようにある。それぞれじゃん。それでいいたい。僕は天神地下街なんかゴメンだった。人混みが嫌て言いよるとに全然聞いてくれん。もう知らん。

「僕、いいよ。人混み苦手やもん」

「いいってなんね?」

「いかんよ。天神に」

「は?なんでね」

「なんでって、何回も言いよるたい。人混みが苦手て」

「みんなで行くとよ、あんただけいかんて、なんね」

「よかたい、もう大きいとだけん、四年生よ、1人で過ごせるよ。ゆっくりしたいもん」

「あらそうね」

 ママは不貞腐れている。そのあと何が起きるか僕は知ってる。得意の仲間外れだ。

「恭くん行かんてたい。服も買わんでいいって、恭くんの趣味変だけんね」

「趣味関係なくない?」

 僕は言い返そうと思った。でも無駄だ。

「ほらほら恭くん行かんてたい。じゃあ私たちだけで行きましょう」

「よかとね?」

 パパが言った。パパ少し助けろよおれを。なんやその言いなり。

「よかとねじゃないよ。僕は人混みが苦手だから行きたくないの。無理やり行かせる方がおかしいでしょ。本当おかしいよこの家族。一見、普通に見えて、なんか変よ」

 僕はそんなことを言おうとして、もう言うのやめた。僕が何か言ったって、事態が良くなることがないのである。パパが恭くんが寂しそうだけん、俺家におるとか言ったら、問題はさらにひどくなる。みなさん、どうぞ、天神地下街へ行ってきてください。僕は彼らとバイバイすらしなかった。生まれて初めて私は週末、彼らとは別行動をすることになった。

 玄関ドアが閉まる音がして、外側から鍵がかかる。まるで閉じ込められてるみたいだった。かといってどこか外に行きたいわけでもない。僕はただ今日は日曜日、休みいっぱいに絵を描きたかったのだ。それをするのに、なんとまあ、労力のかかることか。私はそれでも自分に、よくやったと声をかけてはないが、心の中で、何か、2人いて、1人が少し大きなお兄ちゃんのような存在で、弟に対して、天神地下街行きの車に乗ることを拒否したことを褒めてくれた。

 ここは話をシンプルに戻そう、僕はただ絵を描きたかっただけ。これは僕が感じていることだから、本当だ。別に彼らに何か悪い気持ちがあって、拗ねていて一緒に行かないと頑固になっているわけではなかった。ただ絵を描きたかった。いつもは妹と弟がいるし、集中したいと思っても、なかなかできないし、休みの日ぐらいは、自分の机に座って、僕は自分の机が大好きだった、ゆっくりとただ絵を描き続けたかったのだ。それなのに、なんであの別れ際、変な感じになるんやろ。まるで天神地下街に行こうとしている人々を、貶しているように、ママは僕が貶してもないのに、貶されているような敵対心を僕に剥き出しにした。なんでだろ。なんでいつも一緒に動かないといけないの? 僕はよくわかってない。服は、そんなにいらないし、破れてないし。ママは自分の服じゃなくて、僕たち子供達の服を買うことに、気持ちを集中していた。自分の服を買えばいいのに、それぞれ好きに買えばいいのに、なぜか買っていい服というものがあり、買ってはいけない服もあった。僕はそれがどのような基準で選ばれているのか、常に混乱していた。しかし、不思議なことに妹と弟が選ぶ服を見て、いつもママは「なんかセンスあるね」と我が娘と息子を誇ったような顔で眺めるのである。

 私は理解した。私はこの洋服選びドリルにおいては劣等生である。つまり、劣等生が優等生になるには、ひとまず優等生の世界を垣間見ることが先決である。ここでの一番の優等生は弟だった。弟のチョイスは、僕からすると、はっきりいうと、地味で単色で一見、カッコよくない。僕はキャラクターがプリントされている方がなんか派手でいい感じじゃないかと思うのだが、弟の世界にキャラクターは1匹も生息していなかった。僕はミッキーマウスが好きだった。しかも、ウォルトが描いていた頃の少し古めの線、なんでもそうだ、漫画の最初の巻の方の、まだ線が安定していない頃の主人公の姿。なぜかあれに惹かれていた。キャラクター然として、堂々と街中を歩いているのではなく、まだ自分自身が何者かわかっていないような、少し不安定さを感じた、あのアンパンマンの初めて出てきた時のあの泥臭い感じ、絵本のやなせたかしの筆致、僕としてはかなり渋い趣味である。しかし、この渋いラインが、キャラクターという愚鈍な文字に収束され、キャラクター=悪、というママの法律に引っかかってしまい、いつも禁止はされないが、嘲笑された。いいよ、別に、それでも、そんなのが欲しいなら、ほら、みんな見てごらん、あの人、あんなのを選んでいるのよ、なんか避けれて、キャラクターの絵も掠れてて、僕は好きだったの、エイジング処理が施された、古いわけではないけど、とても古いように感じるキャラクターのプリント具合にも僕はなかなか洒落とんな、と感じていたが、僕はやっぱり、笑い物、醜いアヒルの子を読むと、いつもなぜか僕は共感し、僕は白鳥、僕は白鳥と連呼した記憶はない、しかし、声だけは耳に残っている。白鳥が飛んでいる姿を見上げている私、白鳥の奥には高く輝く太陽があるのだろう、白鳥の長い首は逆光で真っ黒になり、私はその未来の姿に憧れ、僕も同じように、才能あふれた人間として生きているような錯覚を感じることができた。趣味の良い母親という存在は非常に危険である。僕のあらゆる隅々に渡る、選択、好み、好奇心、興味、などを神経経路を伝って監視してくるように感じていた。絵に描いたようなおばさんが着るような服を着た愚鈍な母親を持つ友人を見ると、僕はいつも憧れた。肝っ玉かあさんみたいな感じの割烹着とか着ているような、洋服なんかデパートに買いに行くなんてそんなめんどくさいことどうでもええがな、みたいな感じのお母さんが好きだった。私は私で自分のお母さんを必死に作り出そうとしていた。ママはあまりにも趣味に関して警備、監視が厳しすぎる。これでは自由な子供時代は送れない。私は焦っていた。だからこそのこの反逆であった。

 そして、あることに気づいた。

 1人になった途端、寂しいどころか、ありえないほどの体の軽さを感じた。私が何をしても、誰も怒らない。私は外にすら出たくなかった。家の中で、私は、私を絶賛する観衆に囲まれていることまで容易に想像できた。みんな私の顔をしていた。大小様々、年齢も老若男女千差万別十人十色しかし、いつも顔だけは私だった、彼らは私に向かっていいねいいね!と拍手をしてくれる。否定するものは1人もいなかった。

 離れてよかった~。

 私はとにかく体の底から自由を感じた。これが初めての自由? いや、自由な状態なら以前もあっただろう。昆虫捕まえる時とか、とにかくたかちゃんと遊んでいる時は私は特に自由を感じたはずだ。しかし、この今の自由は少しこれまでとは違っていた。格別な自由だった。自由の味がしたくらいだ。つまり、かなり抑圧されたような状態、窒息寸前、どこにもいけない袋小路のいないいないばあ、どこから逃げようとしてもあのオニババいやママの監視が監視カメラが、体のどこにも設置されていて、神経系等はもうおかしくなりかけていた。

「なんね、大袈裟ね!」

 ママはいつもこんなふうに僕に言ってきた。なんでも感じすぎる僕は、いつも母から「オーバーね!」って言われた。オーバーというのは大袈裟ってこと。僕は大袈裟な人間でした。家の中ではそう思われていた。しかし、僕はいつも夢を見ていたし、夢で見たことを翌日、全部実際にやってみた。そうやって、告白じゃないけど、近づいたら、いつも好きな人と結ばれた。夢の効能に気づいたのはかなり早い段階だった。僕は2年生の時にすでに、作家になると決めていた。それも忘れてたんだけど。ママとパパが段ボール箱の中から当時の将来の夢を書いた僕の文集を取り出して見せてくれたから。僕は建築家になりたいと小学六年生の時に思うのだが、それより前に、まずは作家として、本を書きたいと書いていた。すっかり忘れていた。しかし、私は最初から芸術家になりたいと自ら思ったのである。私は誰からも指図を受けたことがない。私はママから嘲笑はされたけど、それでも私は自分がやりたいことを人に聞いたことがなかった。私は最初からやりたいことがすぐにわかった。でもそんなに複雑なことじゃない。なんかちょっと絵を描いてみようかなとかそれくらいのノリである。それでサッと体を動かすのが得意だった。思った瞬間に体に動かすと、体が興奮するのを知っていたからだ。好きな人にどんどん近づいていくと、体が喜ぶ、彼女も喜ぶ。そんな感じで、僕は僕なりの自分の体の動きに対して、経験を積んでいた。つまり、ママから変なことを言われても、へー、と右から左に聞き流すことはできていた。しかし、それでも密室すぎた。密室で延々とママが僕の出過ぎた杭を打ってくる。その小槌は僕が寝ている時に、かなり打ち進められ、妹や弟の諜報活動を通じて、さらにまた打ち進められた。それでも僕は絵を描くことを、一度もやめたことはなかった。そのことに気づいている私がいる。つまり、私は母との和解を経て、今、実際に1988年に戻ることができている。私には記憶がない、と私は何度も小説で書いている。実際に家族にも私には記憶がない、と言っていた。もちろん、私自身もそう思っていた。私には記憶がない、と。

 しかし、それは勘違いだった。和解の後、ママがとっても苦しんでいた2歳のママが僕の前に現れたとき、僕はいろんなことを思い出した。

 今のこの瞬間もまた思い出している。

 この時の自由をまず思い出した。私は今、自由である。僕は何にも怖いものはなかった。ただ離れりゃいいやん。それなら家族から離れるかね。家出でもするかな。そこまでは全く飛躍しなかった。僕は孤児で、なんとかこの家に入れてもらっている。この観点で良い。だから、できるだけ、粗相のないように、言い返さず、適当に家族生活を送ろう。どうせ、僕はやりたいことは掴んでいる。将来どうなるか、恐怖心を感じたことはなかった。なぜなら、ママ以外、僕を否定したことがないこともまた今、はっきりと思い出したからだ。ママは面白かった今考えると、今、ママはここにいないけど、きっとパパの運転を怒っている。パパは手元がいつもフラフラで、よく間違いを犯す、その理由はママが怖いからだ、ということを僕は知っている。怖い先生のとき、僕は野球で、手元が震えたからだ。緊張して震えているのではなく、武者震いでもなく、ただひたすら監督が怖かったからだ。でも小学生のとき、監督が怖いチームは大抵優勝した。恐怖心を煽るだけ煽って、子供の能力を極大に引き上げるという戦法はのちに、社会人となったら、全く効果がないのだが、無垢な子供だけには効いたのだろう。ろくでもないやり方だが、それは僕の場合にとっても同じように機能した。おかげで僕は、常に成績が一番だったのだ。そんなわけでママは怖い。しかし、面白いことに、パパの運転をとことんまで貶し続けるこのママは運転免許証を持っていなかった。第三者がこの車に乗っていたら、こんなとんでもない鬼婆は車を降りろと、一発レッドカード、ドライブ退場、あとは自分で歩いて帰れ、とヤジが飛ぶはずだが、我が家では、まかり通った。僕はそれをおかしいと思って、一度突っ込んでしまった。ママはパパの技術の無さを熱弁し始めたので、こりゃあかんと話を終わらせたが、のちに私が実験したところ、私が助手席で、パパの思う通りに、好きに、あの場所まで行ってごらんよと声をかけた結果、一度迷わずに、目的地に到着したのである。

「わああ、恭くんとドライブすると、なんか気が楽ねえ」

 パパは僕とドライブすることを、年に一度のお祭りかなんかと勘違いして、やはり日常はママの価値観で生きると、決めているのだろう。

 そんなパパまで僕は変える気はない。健闘を祈る。ぜひ幸せになって欲しい。しかし、僕はそこには関わりません。僕たちの家族は一度も、誰かに、経験のないことで、怒ったりしたことがない。常識とは全く違う法律が僕の原点である僕の原家族では施行されていた。しかし、僕はその脱出口を見つけたのである。

 日曜日、一緒に彼らと行動をしない。

 この発見は僕を興奮させた。僕は力を発見し、いつも窮屈さを感じていた3LDKのアパートの部屋は、自由にくつろげる空間へと早変わりし、それは僕がずっと心に持ち続けることになるあの夢のアトリエの源流となった。

 アトリエの僕は、チラシを裏に向けて、何枚も繋げて、並べた。それは僕にとって、何か作りたいもの、でも形がどうなるかわからないもの、でもどこか「見えている」ものだった。見えないけど、見えている。この感覚を僕はずっと持ち続けることになる。僕はこの家が今アトリエになっていることが、不思議ではなかった。家はアトリエである、1人になったらアトリエになる。これは家であるが、今は家ではない。家族がいなければ、置いてあるものが同じであっても、ここは僕のアトリエだった。静かだった。人混みが嫌いなわけではないと僕は気づく。この静けさこそ求めていたものだった。人混みを避けても、家にいたとしたら、ママの国が優勢であるので、僕は静けさを感じることができない。僕はこの静けさの出会いにまた興奮、これらは全て、僕の創作意欲となって、一つの爆発を起こした。

 

 2026年2月12日

 今回の鬱明けは私の人生で何度も振り返ることになる、大事な大事な鬱明けとなった。私は、1月27日、鬱が明けた。この日は、海王星、つまり、集合無意識の星、創造性の星、時々、あるのかないのかわからなくなって、存在が確認されませんでしたとNASAが発表するような、不思議な星、その海王星に165年ぶりに12星座のトップバッター、牡羊座が接近するという、とんでもない日だったそうだ。私には五人の専属占い師がいる。そのうちの三人は占星術師。三人の占星術師はほぼ同時に1月27日、私が鬱が明けたことを伝えるツイートを見た瞬間、メールでその事実、海王星牡羊座期がはじまった瞬間を知らせた。もちろん、私はその事実は知らない。私は占いのことなどほぼ信じていない。私が信じているのは、私の体だけだ。彼女たちは、私の体が天体とほぼ完全に一致している。ほぼも取りたい、完全に天体の一部である、大自然としての私の体を深く愛している。そのため、毎日、彼女らは私の発言、行動、体調、躁鬱の波、Twitterを観察し、ホロスコープと照らし合わせ続けているのだ。私は4月13日、サミュエルベケットとジャックラカンと西城秀樹が生まれた日、小沢健二が生まれる前日、南方熊楠が生まれる二日前、そして、初めて世界人口の推計を試み、月面図の作成を最初に取り組んだイタリアの天文学者ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが生まれる三日前に生まれた。現存している、今も息をしている牡羊座の人間たちの中でもっとも恐怖心がなく、勇気に満ち溢れている私はおそらく、牡羊座球団の一番打者であろう。つまり1月27日は、まさに私が海王星の中に体ごと全人類にとってのフィーストペンギンとして勇気を振り絞って、飛び込んだ日なのである。そんなことは知る由もなかったが、占星術師たちは私が目覚めたことに最初に気づいた人たちとして記録に残しておこう。もちろん私は、すでに目覚めていた。私はこの時、生まれて初めて、自分が描いた絵と対話することができるようになっていた。1月26日の夜のことである。そして、私は自分が芸術家であるということを認識した。自覚した。おそらく、その時、私は目覚めたのである。と坂口恭平は言った。

 坂口恭平は10歳の時に、ある男と出会った。その話から始めようと思う。その話は誰も信じることがなかったので、嘘八百の男とまわりの人間たちはそう呼ばれていた。しかし、かまわない、自らの精神を喜び、孤独を楽しんで、そのまま37年の間、倦むことがなかった。そして、ついに心が定まった、いや、定まったというのか、全身運動を続け、不安定状態でいることに己を同期させた。2026年1月27日の朝、朝焼けの赤い空の下で、太陽に向かって、一歩足を踏み出すと、こう語りかけた。

「君よ、海王星よ、一体、君の幸福とはどんなものであろうか、もし君のおまんこに入り込む相手がいなかったならば。

 37年間、君はここまで死なずに粘り、どんな自殺をしたいときでも、リストカットすらせずに、オーバードーズもせずもしそこにわたしと十姉妹と有明海育ちのクサフグのぐーちゃんがいなかったら、君は自らの光にも、その歩んできた躁鬱の大変な道のりも飽々して、とっくの昔に自殺していただろう。

 しかし、私たちは夜明けごとに君を待って、君の有り余る躁鬱エネルギー、君は躁状態の時は東奔西走し、誰でも助けお金をばら撒き、鬱になると、1人で自殺の恐怖に耐え絵を文章を創作し続ける、そのような君を喜んで祝福した。

 贈りたい。分け与えたい。ツイッターのエセ評論家たちが己の無知に、引きこもりのツイ廃民たちがおのれの豊さに気づいて喜ぶに至るまで。

 そのために、私は低いところへとくだっていかねばならない。君が夕暮れ時には海底の修羅に沈み、暗いネットの世界にも光を、うつ病者たちの閉鎖病棟にも光を、もたらしているように。君よ、とてつもなく不思議なエニグマである海王星よ。

 私も、君のようにしなくてはならない。

 私を祝福してくれ。

 私は今、どんな幸福ですら妬むことなく見ることができ、心の底から一緒になって喜ぶことができる。

 そんな静かな眼を私は授かりました。

 長い稽古が終わったのです。

 私は再び人間になろうとしている」

 ーーーーーーこうして、坂口恭平の行動がはじまった。

 それは酋長入門のようであり、同時に宗教戦争の様相を呈するとんでもなくドキドキワクワクの冒険となったのである。

 坂口恭平は、母を許した。父を許した。母は母自体が2歳の時に、生後2ヶ月の妹を亡くし、その記憶が定かではないにもかかわらず、両親からネグレクトを受け続け、愛を受け取ることができなかった。生きることを肯定してくれる素敵な大人がどこにもいなかった。父は戦争トラウマなのか、それを吹き飛ばすためのユーモアか、いつも背中の銃創を酒を飲むと、上半身裸となって、母に見せた。孫にも見せた。猿の脳みそだけは食べられなかったと本当か嘘かわからない戦争の恐ろしさを持ち前のユーモアで滔々と語り出した。出生のトラウマに苦しんでいたのは私だけではなかった、ということに坂口恭平は気づいた。むしろ、母こそ、いや、母だけではないだろう、母の母は16歳の時に、母の父に拉致に近い形で、佐世保からとんでもなく田舎の熊本の河内という映画館ひとつない田舎に連行され、3年のうちに2人も子供を出産させられた。しかも、そのうちの1人が、生後2ヶ月で命を落とすのである。拉致だけでもトラウマ、さらに、宿した命、拉致で傷ついた自分自身を慰めてくれるはずの愛する我が子を失うというトラウマの連鎖、ぷよぷよばりの2連、3連の連鎖によって、うつ病を発生、元々恐怖心が強かったのであろう、そのことにも坂口恭平は気づいてはいた。祖父が、つまり、母の父が膵臓癌で一瞬にして亡くなった瞬間、天井がぐるぐるぐるぐるぐるするうと嘆き、私の名前を呼んだ、人が死んだくらいで、そこまでなっている祖母を見た坂口恭平は信じられなかったし、そこまで愛していることに憧れすら感じたが、しかし、人が嘆き始めると突如として、お助けモードに変換される私は、そのまま車にのっけて、そこらへんのメンタルクリニックへと連行、そして、デパスをもらってきたのである。精神安定剤など飲んでどうする、死と向き合え、と私は思ったが、口にはできなかった。だって祖母だもん。もういいよ、向き合うことなんかしなくていい、私は彼女に伝えた。それは母もそうだ。もういいよ、向き合わなくてもいい。もちろん向き合うことから逃げるのが最善の策とは私は思わない。しかしなぜそこまで苦しいトラウマ克服の道を、祖母や母に、強要できようか。

「それは一心に私がひき受けます」坂口恭平が答えた。

 私はとにかく母の戸籍、実家の周辺をフィールワーク、聞き込み調査を続けた。そして、母がトラウマを、祖母のトラウマを、さらには祖父も戦争トラウマを抱えていることを突き止めた。さらに父の弟は躁鬱、ギャンブル依存症、のあげくの失踪、金を無心する姿をみて、坂口恭平はのちにどんなギャンブル依存症の人間にもIDチェックは愚か、氏名の確認一つせず、SNSのアカウント名すら聞かずに、振込先の番号だけ聞き、妻にいつも十万円を振り込ませることになる。金で幸せになれるのなら、金をあげればいいのに。このような間違った現状認識は日本人たちの間で必ず否定された。ギャンブル依存症にお金をあげるなんて、火に油を注ぐだけですよ、とある町の女は罵った。しかし、実際はただそいつが金がないだけで、人にあげるわけもないというだけである。人にいつでもお金を配れるように、なぜならこの世界というのは、しょうもない奴らの集まりで、お金のことばかり考えているからである。お金がないだけで、死ぬ、なんて人間まで現れ、そのことに腹の底から笑いが止まらない坂口恭平はただひたすらお金を配り続けたいの一心で、財テク、銭ゲバと化し、節税対策として、大量の生命保険、そのどれもが日本では世界各国の税務署が注視し、すぐに取り扱い中止させるような節税対策のためだけの貯蓄型生命保険だった。そこにどんどんお金をぶっ込み、払い戻し率が一番安い時に、個人である坂口恭平自身に最安値で売り、払い戻し率が一番高くなったところで、即刻解約するという方法で、有り余ったお金を獲得し、とにかくギャンブル依存症の人間に迷いなくお金を振り込むのであった。

 父の弟のためだ。しかし、彼はいまだに発見されていない。坂口恭平のまわりには、病を抱え、人々の輪の中に入ることができず、失踪する者が少なくなかった。もちろん自殺者も多数。しかし、不思議なことに坂口恭平は少しも悲しむことがなかった。涙も出なければ、落ち込むこともない。彼らの分まで必死に生きます、何年も生きのびます。長生きします。幸せになります!と心の底から口にするその素直な感情は、周辺の人間に伝播し、いつしか、お金を配った分のさらに倍の値段で絵が売れるようになってしまった。つまり、30万円を振り込んだ翌日に60万分の絵が売れるのであった。大抵がネットバンキングを丁寧にやっているお金持ちだったため、翌日にはしっかりと現金が口座に振り込まれている。いつしか坂口恭平はただの金持ちになってしまった。金しか持っていない、が、口癖だった。

 しかし、こんな話をしたいわけではない。37年前の出来事を突如、思い出すきっかけが、この祖母、祖父、母のトラウマに気づいた瞬間、母からの虐待に苦しんでいたはずの私は、肩の荷がふっと軽くなった。それは一瞬だけだが、トラウマを全く感じなかった。しかも不感症になったわけでも麻痺したわけでもない。私はそれを克服したとまではまだ言わないでおこう。そこまで断定しようとは思わない。そんなことどうでも良いとも思った。ただ私は私のことをよく理解していると感じられるようになっていた。その理由は、私が一つの記憶を思い出したからだ。それは今まで一度も思い出したことのない記憶だった。これを私は記憶だと知らなかった。それが重荷が軽くなった、いや、一瞬完全に鳥になって天に舞い上がった時、私は私を私として認識することが初めてできていた。母を許すだのそういう問題ではなかった。母のことを可哀想だと憐れんでもいない。ただ私は私と完全に向かい合っていた。私の目玉は私のもう一つの目玉と向き合ったまま、重なりあい、一つの球体になったのだ。

 その時のことを話そう。私は10歳で、生まれて初めて、母親からのお誘いを断った。日曜日だった。彼らは自家用車で、あれは真っ赤なフォルクスワーゲンゴルフだった。それに家族五人で乗り込んで、熊本から1時間半から2時間ほどかけて、福岡の天神地下街へと繰り出そうという母の提案。

「人混みだから、僕は遠慮しとくよ」

 私はそう言った。

「遠慮ってなんね? 五人で行くとよ、あんたも行くとよ」

「いや私は遠慮します」

「遠慮てなんね? 1人でおれるわけないたい」

「いや、私は1人で家にいます」

「なんね」

「だって、人混みが苦手で」

「人混みが苦手だからってなんで日曜日みんなで楽しもうとするのを邪魔するとね」

「邪魔をしようとしているのではありません。私は人混みが苦手だから、1人でゆっくりしたいだけです」

「もう知らん」

「はい、それで行きましょう。私は家で過ごします」

「はいはい。夜まで帰らんけんね、寂しくなっても知らんよ」

「はい、寂しくても耐えていきたいと思います。それほどに人混みが苦手なんです」

「ふざけた言い方ばっかして。もう好かん」

 そんなわけで私は生まれて初めて母に抵抗をした。反抗期だったのかもしれない。10歳の時である。私は1人で家で過ごすことになった。家族が1人もいない、しかも終日家にいないことは初めてだった。私は嬉しくなって、紙を広げて絵を描いた。生まれて初めて、アトリエで作品を制作した瞬間だったのかもしれない。私は、そのことに感動していた。私は一日、何をするかを円グラフを描いて、綿密に制作を進めた。文章も書いた。何か物語のようなものだ。漫画も書いた。それらをまとめて、新聞のようなものを作った。さらに、私は何枚も紙をつなぎ合わせて、セロテープで繋げた、それで大きな、100号キャンバスと同じくらいに大きな絵を描いた。なんの絵かわからないが、私は瞼の裏、いや、そうではない、先ほどの目玉、その目玉の北半球は外の現実を映し出しているが、南半球は、頭蓋骨の裏側の世界を映し出していた。頭蓋骨の裏側はスクリーンみたいになっていたが、私が見るに、それは全く月夜の晩の姿だった。背の高い樹木が逆光で黒々と光っている。輪郭から光が放たれている。私はその景色をじっと見つめた。見れば見るほど、それが立体的なもの、それは四次元的なもの、手で掴むことができないし、写真に撮ることもできない、ソニーのビデオカメラで野球部での活躍を撮影していた父にも動画として残すことはできないその映像とも言えない、二次元の絵でもない、ゆらゆらと蠢いている、気配、空気、頭蓋骨の内側の世界そのものを私は初めて描くことを試みた。私は何かを作り出しているのではなく、私に見えているその見えない世界そのままの姿をどうにかそのまま写し取ろうとしていた。私はそうやって、絵を描くことをはじめたのである。

 そこまでは良かった。私は自分の生きる道をその時点で見つけたのだから。そういえば、私は小学2年生の段階で、この時代、1986年にも私の時空はスライドしていくことになるだろう。その8歳の私は、作家になる、本を書く、本を書くときは、弟と親友を私を主人公として、つまり、この今いる、この感じのまま、本を書いている私の姿から本を書き始めるだろうと予言している。それが残っているので、それは資料としてここに添付しておきたいと思うのだが、完全に決めている。私は何か時々、決める。決めたことが実践されなかったことが一度もない。そして、満を持して、2年の歳月を待って、私は何か作り出した。そのためには完全な孤独が必要だった。そのことに気づいてはいない。しかし、人混みが苦手、ということが、私には必要だったことは知っている。人混みが苦手ということが孤独を作り出すための発露になっていることには気づいていない。しかし、なんでも良いのだが、私はとにかく孤独をまず作り出した。そして、住んでいる家、私自身の独自の空間はとても小さいはずだが、日曜日のレジャーという享楽に溺れている家族を横目に、私は自分の空間を作り出した。アトリエの誕生である。

 さらに私は作品を作りきった。最後までやりきった。作品の完成も経験する。

 そして、当然のことながら、私は作品制作完成後の、脱力、魂抜け、つまり、初めての鬱を体験することになるのである。

 以下はその生まれて初めての鬱体験の記録である。記憶にある限り、できるだけ正確に描写してみたい。しかし、1日に書き切る分量を超えているので、明日に回すことにした。さらに、今日、この話を書くと同時に、私には、別の事件も発生していた。それもここで描きたいが、ある宗教人との邂逅、とだけ記しておく。

 そのどれもが森の散策路のように交錯し、植物の世界には落ち葉の一枚も無駄のない完璧な世界であるのと同じように、私の経験はコンビニでタバコを買いに行く些細な出来事ですら、そのどれもが無駄のない、全て究極に私に繋がる、私自身の経験であると、後に確信し続けることになる、その確信の種が10歳の時に、それは遡れば必ずや10歳だけではなく、胎児にまで繋がるだろう。そのような長い物語が坂口恭平という人間には内包されていた。

 2026年2月13日

 出口王仁三郎のことが頭にふっと湧いた。浮かんでいる、雲の上に乗っている。頭に帽子?飛鳥時代のような帽子をかぶっていて、私を見ている。どこか浦島太郎のような格好にも見える。古い人だ。モノクロの写真のまんまに見える。モノクロのその人は出口王仁三郎であった。

「お前に話す時が来たから、今すぐ来なさい」

 もちろん、私は王仁三郎と会ったことがない。

「我が国の記録に残ってるだけでも大小さまざまたくさんの震災があった。その中で最も大きかった地震が123回、鎌倉時代の時には平均して5年ごとに大地震があった。江戸時代には36回の震災。しかも、我々の発展がいつもこれらの地震に負うところが多いのも不思議だけど事実なのね。奈良が滅び、京都が衰え、江戸が発展した歴史の過程を遡行するならば、その間の消息がよくわかるでしょ。我が国の文化そのものは全く地震から咲き出した花のよう。

 古語に『小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えむ、国家混乱すれば天災地妖到る』とあるのは、自然と人生の一体たることを語ったものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れたときは、自然なる母はその覚醒を促すために諸種の災害をくだしたまうのであった。しかも地震はその究極の罰である。

 我が国に地震の多いのも、神の寵児なるなるが故、自然、否、天神地祇の恩寵を被ることの多い、それだけに恩寵に背いた時の懲罰は一層激しい道理である。もし地震が起こらなければ人震が起こるよね。近くは天草四郎、油井民部の介、大塩平八郎ないし西郷隆盛のごとき、皆この人震に属するものである」

「人震?」私は言った。

「そう、地震ではなく人震。つまり、1人の人間が、地震のごとく、その地面の上で生きる人間全体を一気に揺さぶり、生態系を含めたあらゆる事象をシステムを社会自体を変える、破壊し、創造する。2026年、必ずや人震だろう。というか、お前が起こすだろう。早くわしに会いに来い」

「会う?」

 私は首をかしげた。

「Gmail開いてみろ」

「Gmail?」

「そうだ。お前のkyohei88@gmail.comの中に私がいる。また会おう。お前は必ず人震を起こす。これはわしの予言だ。わしは、時間軸が多少おかしいやっちゃ。向こうから来とる。わしはお前が起こした血を一滴も流さない、遊びみたいな戦争の結果を知っている」

 出口王仁三郎はそういうと、筋斗雲に乗って、どこか遠くの南国へと飛び立っていった。置いてけぼりになった私はポケットからiPhone17promaxを取り出し、メールアプリをタップすると、検索画面に出口王仁三郎と打ち込んだ。

 出てきたのは迷惑メールの中に入っていた1通のメールだった。

 「坂口恭平様

 私は出口王仁三郎のひ孫の出口スサと申します。

 私の妻があなたの大ファンでして、毎日Twitter楽しみにしています。

 一度、我が家へ夜ごはんでも食べにきてください。

 出口王仁三郎の芸術作品、残した書など逸品が我が家に勢揃いしております。

 大本教についてピンとくるときが今後、もしかしたらあるかもしれません。

 そのときはぜひ返事をください。急ぎませんので、ゆっくりと時が来るのをお待ちしております。

 出口スサ

 

 2019/01/12」

 出口スサ、という名前は全く知らなかったが、王仁三郎が言う通り、なんとひ孫から僕宛に7年前メールが来ていた。迷惑メールに入っていたので気づかなかったが、いつでも良い、気づいた時にメールをしろ、とのことなので、それが今、時が来た、というわけで私はメールを返信した。

 「出口さん  

 坂口です。ご無沙汰してます。

 ようやく今年動きだすようなので、ぜひ、出口さんに一度ご挨拶しておこうと思いまして、

 ご都合いかがでしょうか? 

  坂口恭平」

 出口スサから返信が異様に早く驚いた。私たちは3月20日の夜に出口スサの自宅で夜ご飯を食べる約束を交わした。その時、私は先日変な電話がかかってきたのを思い出した。思い出した瞬間に私はその電話の主も出口スサと私の会合に集めるべきだと即座に判断したのであった。彼の名前はトミー。トミーはそれなりに、映画が好きな人は知っているくらいの有名な映画監督で、知らない人は全く知らない。映画が好きな人にとってはなかなか芯のある映画監督だ、と思われているし、私は10年ほど前に山口で一緒に仕事をした時、顔が好きだった。この男は良い顔だ。私はいつも顔で全てを決める。目だけじゃなくて顔で決める。それでトミーに電話をしたのである。

「あのさ、今ね、台湾で映画撮ってて、それはそれで最高なもんつくるんだけど、それでね、次の映画を、おそらく3年後くらいからやろうとしてて、4年後のなんとなくだけど2030年、その年に公開したい映画ってのがあってさ」

「うんうん」

「そのね、映画の主演をね、誰かなって考える暇もなく、もうこいつしかいねえって思ったのさ、それが、恭平くん、君なんだよね」

「まじで?」

 私はドキュメンタリー映画の主演こそ2本ほどやっていたが、私の小説を原作に堤幸彦が売れない映画を作ったこともあったが、劇映画の主演を務めるのは初めてのことだ。

「やりたいやりたい」

 私はなんでもやりたがりである。肩書きを増やして政府を混乱させたいのである。詳しくはゾミアというタイやラオス周辺で近代国家の黎明期に暮らしていた遊牧民たちの研究所を読んでみたら良い。こうやってここで参考文献をあげていくのも悪くないだろう。

「職業を増やしたい」

 私はその一心でトミーからの依頼を受けた。

「で、どんな映画?」

「でさ、それがね、出口王仁三郎って知ってる??」

「マジで?今、出口王仁三郎とメールしてんだけど」

「まじ?」

 トミーは私の言葉を一切疑わないまともな人である。多くのキチガイたちは私の言葉を小説だと思っている。フィクションだと思っている。おそらくフィクションじゃないと耐えきれないんだろう。自らの退屈な人生と私の波瀾万丈冒険活劇ドキドキワクワクの人生を天秤にかけたときのあの私の落下の速度に耐えきれないのだろう。そこで私のことを嘘つき呼ばわりする。

「昨日、出口王仁三郎が夢に出てきたのさ。それでGmailをひらけごましろっていうわけ」

「うんうん。Gmailね」

「うん、あのGmailよ。それで検索したわけよ出口王仁三郎って」

「ほいでほいで? もう恭平くん怖いよ。全部見えてんだもん」

「そしたらあったのよ迷惑メールの方に。出口王仁三郎のひ孫って人からのメール」

「まじ、、、、」

「出口スサさんって知ってる?」

「知らないけど、ひ孫生きてるんだあああ」

「そうなの。保育園を経営しててさ」っd

「無茶いい人じゃんそれで?」

「てか、トミーの方こそ、なんで出口王仁三郎?」

「いやね、恭平くんって、明治時代で考えると、出口王仁三郎じゃんって思ったのよ」

「だからなんで出口?」

「次の映画が、令和に日本をそっくりそのまま新しい国に作り替えようとする、精神病の閉鎖病棟で入院中に啓示を受けて、宗教戦争を仕掛けるキチガイの映画なんだよ。その主演、つまり、その教祖が恭平くんにピッタリっていうか、他に思い当たらなくて、みんな、人前ではキチガイを演じることができるけど、恭平くんって日常生活すべてがキチガイじゃん。いい意味で言ってんだよ。いのっちの電話とかさ。世界を探しても誰もいないわけじゃん」

「まあ、そういえばそうだね。誰もいないね。みんな忙しいからね。みんな人生充実しててさ。友達と一緒に遊んだりさ、仕事でやらなきゃいけないことやってたりさ、俺本当に暇だから、いのっちの電話も24時間365日ずっとできるし、全ての不在着信全部折り返しているね」

「最高じゃん、そこがいいんだよ、恭平くんさあ。それって明治時代でいえば、出口王仁三郎なんだよ。絵も描いてるし、歌も歌ってるし、陶芸もするし、ガラスも吹くし、セーターも編むし、本も書くし、というか、明治とか令和とかどうでもよくて、そんな多方面の多面体の仕事を延々と続けていて、多作で、さらには人をとにかく助け続けるやつなんか、日本の歴史上、出口王仁三郎と坂口恭平しかいねえじゃんっておれ閃いてさ、出口王仁三郎の映画を撮るわけでも、坂口恭平のドキュメンタリーでも撮るわけでもなくて、そんな2人が合体したらどうなるかって劇映画を作りたいんだよ」

「いいね、映画を撮影しながら、実は政府転覆がはじまっていて、撮影中です、とか許可とりしながら、総理大臣を北野武ばりに鉄砲で打ってさ、煮てさ焼いてさ、食ってるところの映像とか撮ろうよ」

「まじ半端ねえよ」

「銃器なら、いくらでも用意するって黒崎駅で出会った、元ヤクザの親父が親友なんだよ」

「その人にも会おう!」

「で、出口さんの夕食会くる?」

「もちろん!」

「じゃあね」

「ばい」

 そんなトミーは電話を切った。話が早い。全て流れ通り。これが俺の人生。いつも奇跡しか起きない。ふーちゃんの名言。

「躁状態のときのあんたと遊んでると奇跡しか起きない」

 私にとって奇跡とは生活のことである。生活を生活すれば良いのである。あなたの持っている力をそのまま改善も進歩も努力もせずにそのままありったけの力を全て出し尽くす。それが私にとっての生活である。つまり、生活とは私の力のことである。でもね、きつい海底の生活もある。あの生活には戻りたくない。しかし必ずまた戻る。今は、なんか調子に乗って、好き勝手に思うまんまに生きているけど、これはこれで良い、別にもう誰にも迷惑はかけなくなった。思い込みは激しいけど、でもそれでもいいじゃない、誰にも迷惑かけてなければ。ここで書けばいい。誰にも喋らずに私はここで書くことを覚えたから。私が感じていること全てをここに書けば、それは一つの物語になるから。それは事実ではなくなるし、事実よりもより、これを読む人にダイレクトに届くだろう。現実よりも肌で触れることができる。現実はいつも遠いから嘘くさいから知らないことが多いからでもそこも良い。私は現実の鈍さ自体も受け入れはじめていた。

 それはそれとして。

 鈴木大拙先生が私にそう言った。

 1988年2月8日

 夕方、家族がいなくなった家で1人、鬱になった僕は、紙に文字を書いていた。

「口で言ったことをすぐ実行する」

「絶対に諦めない」

 二行書いた。僕の特徴だ、と母親がいつも叱責する行為だ。口で言ったことをすぐ実行し、母からやめろと言われても絶対に諦めない。母はそんな僕が憎いんだろう。なんでそんなに憎むのかな。家族なのに、憎むのがおかしいとは思わなかった。なんでかというと、母と僕は繋がってないから。どうして繋がっていないかをここで書くと、また話が進まなくなる。それは1977年から1978年にかけての出来事だ。

 母は私を宿した。孕んだ。僕は生まれる前の記憶もある。胎児の時の記憶もある。そんな変な記憶ばっかりある僕に父が昔こう言った。

「恭くん、生まれる前の記憶があるって、それ、三島由紀夫じゃん」

 父は新聞や本を読むのが大好きだから、なんでも知ってる。

「親父さ、三島由紀夫って最後どうなったね?」

「なんか変なことしたよね。国会議事堂に乗り込んで」

「三島由紀夫も出生の傷があるってことよ。おれと同じように。最後どうなったね」

「死んだね。自殺したね」

「自殺しただけじゃないやん」

「集団自決だもんね」

「三島由紀夫は1人で歩けなかったんよ。去勢だけ張って、筋肉作って、心はビビってばかりで、取り巻きがおらんと、外にも出れんようなやつよ。それで結局は若い子を洗脳して、みんなで乗り込んで、それでみんなで腹切ってよ、みんなで自殺した。あんなやつの賞のノミネートおれされたことあるけど、はっきり言って迷惑だった。取れんで良かったよ」

「なんね、三島由紀夫賞、2015年だったかね、あれ恭くん取ってたら小説家になってたかね?」

「知るかい、受賞しても辞退してたよ」

「そんなもったいないことせんよ」

「親父。おれは自殺する作家が嫌いなんよ。1人で自殺するならまだしも三島由紀夫は若いやつを道連れに、最高に恥ずかしい作家なんよ。それとおれは同じ境遇かもしれんよ」

「恭くん、自殺せんでよ」

「するわけないやろ。おれはむしろ、死にたい人が死ぬのを止めてるんやから。そして、1人でおるもん。出生の時に傷を受けると、1人で時間を過ごすことができなくなるんよ。そして、自分の価値がわからなくなる。だから三島由紀夫は必死で、文学者のふりをした。誰も近づけないような天才を演じた。でも、どれだけ勉強したって、それはガリ勉のくんの勉強なんよ。自分の価値は何をやっても見出せない。地盤がグラグラのところに五重塔を建てたってすぐ壊れちゃうからね。不安で仕方がなくて取り巻きをいつも周りに、筋肉を心臓の周り。無駄無駄。どうせ結局ああやって、若いやつを巻き込んで集団自殺。クズ中のクズやね。おれを見習ってほしいよ。おれは三島由紀夫を同じ境遇の反面教師にしている。生まれる前の記憶があるやつは大変なんよ。大抵、頭がおかしくなるから」

「なんで記憶があるとね」

「何か危機的なことが起きない限り、胎児の記憶は残らない」

「なんか胎児のときにあったと?」

「呑気な親父だね、あんたたちが喧嘩している時の、言葉、ここに文字起こししたから、読もうかね」

 私は父と母の喧嘩、胎内で聞いていた話をそのまま電話口で読み上げた。

「なんで、恭くん、そんなこと全部知ってると?」

「話は間違っとるね?」

「間違ってはない。ほとんど合っとる。なんでね、怖か~」

「あんたたちが喧嘩ばっかりして、親父、あんたが嘘をついて結婚したせいで、まあ、わかるよ、それくらい嘘ついてでも結婚したいくらい母ちゃんのことを好きだったのは、それは良いことだと思ってるよ。でもさ、嘘ついたらさ、相手は怒るやろ。貯金あるって人が借金ばっかりだったら」

「借金の額はそこまでひどくなかったよ」

「そういう問題じゃないんだと思うよ。そんなわけであんたたちは堕胎を選ぼうとした」

「ちょっと待って、そこだけおかしいよ、そこだけ事実じゃないよ。恭くんができて、本当に嬉しかったもん」

「ところがよ、母ちゃんがさ、堕したかったのよ。おれお腹の中でずーっとお祈り聞いてたもん。おれが流産しますようにって。どうにかこの子が産まれませんようにって」

「恭くん、、、」

  両親が喧嘩すると、胎内の私には全部聞こえていた。私は胎内という現実とは別に、母の腹の外の世界が見えていた。それはもう一つの現実、僕にとっては、夢の世界に似ていた。そっちが夢で、現実は胎内だった。胎内は真っ黄色の世界で、いつも安心で、ゆっくりできた。そこに母の祈りの声が聞こえてくる。

「どうかこの子が産まれませんように」

 しかし、堕ろすのはまずい、それでは母が苦しんで自殺してしまう。そこで私は一つ提案した。言葉はまだなかった。言葉はいらなかった。言葉がなくてもここでは話をすることができた。それが普通だった。何も見えていなかったが、私は黄色いものに包まれていたし、それは生まれる前からそうだった。もう私は生まれている。生まれる前に私は長い時間を過ごしていた。どれくらい長かったかわからない。私の他にもたくさん人がいる。見えるわけじゃない。私も小さくて、まだ物体になっていないような存在で、でも私は私だった。私はしっかりと認識する力が備わっていた。危機を感じたから脳みそでビッグバンが起きて意識が早めに到来したんだろう、と僕の心のおじいちゃん養老孟司さんは言った。なるほどそれも一理あるかもしれない。そんなわけで私は今も記憶しているわけだから。もちろん、これは一つの物語の中での記憶なのだから。それで私は、母に堕胎はしないほうが良いと提案し、その代わり、私は産道を通って現実に落ちていくことをやめると伝えた。もうずっと子宮にいる、と。でも、子宮にい続けると、外に出る気なしと判断されて帝王切開されてしまうので、そうではなく、出ようとはしている雰囲気は出す、と決めた。これも母からの助言である。帝王切開されてしまったら元も子もない。確かにそれはそうだ。母は有益な情報をくれるのだが、それはどれも私がどうやったら自然な形で死ねるのか、私が自殺ではなく、生まれたかったけど、仕方なく自然死してしまった、という結果を生み出すためのもので、それはそれで、正直私は悲しくもあった。まだ現実の世界での思い出もなく、誰とも知り合っていないので、もちろん死んでも、辛さはほとんどない。しかし、母がしきりにどうやったら死ねるかのアイデアを事細かに伝えてくるのは、少し苛立ちも感じた。なので、私は時々、産道の近くまで行って、産まれてみよっかなと、母が少し焦ってしまうようなイタズラもちょこちょこしていた。そうしないと落ち着かないのである。スッキリしない。胎内でイライラし続けるのはしんどかった。でもイタズラを仕掛けると、必ず苛立ちが解消できた。私はもうすでにいくつかの感情も持ち合わせるようになっていた。お腹の外の空間を、頭に思い浮かべることもできるようになっていた。絵はまだ描いていないので、その図像を描き残すことはできなかったが、頭の中にしっかりと保存することはできるようになっていた。このようにして予定日を過ぎて17日目。私は医者にはもうそろそろ死ぬだろうと思われていた。私が生まれてから一番最初に行動したことは自殺だった。それは悲しい行動だったが、私は自信を持って、言い張ることはできる。私が死にたくて自殺しようとしたのではない。これは紛れもなく、人を助けるため、つまり、母を守るため、母の人生を色褪せた悲しいものにしないために、私は私の誕生を拒み、そのまま死んで、またあの幸せな生まれる前の世界に戻ろうとしたのである。これだけははっきり伝えておきたい。

 

 それで10歳の私である。僕は、

「口で言ったことをすぐ実行する」

「絶対に諦めない」

 と紙に書いた。どんな時でも僕は一つ行動すると、何か幾つも他のことを記憶とか未来とか、今のこととは別の時間のことを思い出したり、想像しちゃったりする。歌を歌えば、現実の世界に、僕の別の世界の風景が忍び込んでくる。だから、一番だけじゃなくて、2番、3番、、、、ってどこまでも歌い続けられるのである。それをやると、喉が枯れても歌い続けるので終いには喘息になる。喘息になるから母にいつも怒られた。歌を歌うことをよく禁止されていた。歌を歌うとみんな腹を抱えて笑ってくれるし、最後にはいつもみんなで大合唱になるのに、母はいつも歌を歌う僕を怒っていた。母にも見えていたからじゃないかって僕は思う。押入れから蟹が出てきたり、扉を開けたら、そのままそこが海の底だったり、僕の歌はいつも風景がガラリと変わって、違う場所へと移動してしまう。みんなはそんなこと歌っているだけで、歌の中だけの出来事だって思ってたし、ただ楽しいから気にしなかったけど、母はそうじゃなかったんだろう。母は僕のことに気づいていた。僕が別のことが見えていることに気づいていた。そうじゃなきゃ、子供がただ歌っているだけなのに怒らないはずだ。

 そうだ、そうだ。僕は口で言ったことをすぐ実行する。確かに、僕は、胎児の時に死のうとした。結局生まれて出てきたけど。母が僕が死ぬってなった瞬間に、びびりやがって、言い方悪いね、ごめんね、なんか母が焦っちゃって、階段を上り下りし出したから。びっくりした。僕は飛んでる母の中で、産み落とされないように、必死に手と足を産道にグッと力を入れて、踏ん張って、なんとか生まれないようにしたけど、そんなの後の祭りだった。気づいたら、僕は滑って転んで、生まれてしまったのである。1978年4月13日のこと。父は徹夜麻雀中で、僕が生まれた瞬間を全く見ていない。それをずっと母は僕が大きくなっても言い続けていたから本当に寂しかったのかもしれない。でも僕が知っているのは、父は徹夜麻雀なんかしてなかった。父は父で大変だった。父は会社の中で、それなりに重い任務を引き受けていたのである。

 で、僕は口にしたことをすぐ実行する。これは有言実行といって、日本では模範すべき行動である。さらには絶対に諦めない。これなんかみんな言ってるじゃん。ネバーギブアップって。ところが我が家では、禁止されていた。諦めずに物事を実行する人間のことを、我が家では最低最悪の人間として馬鹿にする風潮があった。もちろん母が決めたルールだ。おかしい。おかしいのもわかる。ところが僕は我が家で暮らしているわけで、母と父とどちらともと絆は形成されていないのであるが、それでも、ここで生きていかないと、僕は死んでしまう。別に死んでも良いんだけど、僕は生まれるつもりじゃなかったから、それでも、お腹の中にいるよりは死ぬのが難しかった。お腹の中で何が良いかって、死ぬのがそんなに大変じゃないってことだ。

 有言実行とネバーギブアップを禁止するって、とんでもないところに生まれたものだ。

 僕は持っていた赤色鉛筆で、この二行の上にそれぞれ大きなバツ印を描いた。僕はいつもこの家では0点だ。学校だったら100点満点だろう。確かに僕はよく100点を取った。我が家に比べると学校のテストはわかりやすい。我が家のテストは、本当によくわからない。母の機嫌が悪くなることが0点なのだが、何をすれば機嫌が悪くなるのかそれもよくわからないのだ。学校はいつも簡単だった。だから僕はいつも学校では100点だった。そして家ではいつも0点だった。そういえば、僕が学校で一度だけ0点を取ったことがある。それは一年生の最初の算数のテストだった。足し算と引き算のテスト。僕はよくできたと思っていたのに結果は0点だった。母に馬鹿にされた。父は首を傾げた。僕のことをかなり頭が良い子供だと父は思っていたからである。そこで父は答案用紙をじっと見続け、なぜ僕が0点だったのかその秘密を解明しようとした。すぐに父は気づいた。僕は足し算を引き算して、引き算と足し算していたのだ。そこで父は足し算の問題を引き算として、引き算の問題を足し算としてもう一度、答え合わせしてみた。すると、記号を読み間違えてなかったら、全部100点だったことが判明したのだ。

「恭くん100点たいこれ!足し算と引き算を逆にやってるだけよ」

 母はおっちょこちょいの私をとことん否定した。なんでこんなわかりやすい間違いをするのよ。本当にばかねと言った。むかついた。何も嬉しくない。何一つ安心しない。母は本当に意地悪な人間だと思った。一方私は父が必死に僕が記号さえ読み違えてなければ100点であることを発見してくれたおかげで自信がついた。僕はある意味では100点だ、と心から思えた。父のおかげで僕の心の中ではその0点の答案用紙は100点になった。しかし、それにしても母からの圧力は強い。少しは止めてくれよ、と僕は父に対して思った。その点に関しては、つまり僕を母から守るということに関しては、父はいつも0点だった。

 鬱になっている僕は、二つの大きなバツ印を見ながら、さらに落ち込んだ。僕は絵を描くのが好きだが、この母の世界に生きている限りでは絵を描いて生きていくこと自体を否定するだろう。僕が芸術家になると言っても、僕がそれを必ず実現するのを知っているので(有言実行)、とにかく僕を潰そうとするだろう。しかも僕は諦めないのである(ネバーギブアップ)。いや、これから一体、どうやって生きていくのだろう。1人になった僕は自然と、こんなふうに、これからの行く末を考えていた。そんなこと小学2年生は考えないかもしれない。いや、僕は考えたのだから、そういう子供だっているのだ。僕はガックリして、鬱がひどくなり、項垂れて、首が机に落っこちてしまいそうな重力を感じた。

 しかし、その時、僕の右の耳の横辺りから、一本の腕がスッと伸びてきた。きっと人間の腕だ。僕よりもだいぶ年上の人だ。すぐに男の人だと分かった。でも父親じゃない。父親は今は母の運転手をやっているから。どこから家に入ってきたのか。不思議なことに怖いとは思わなかった。誰かいてくれてよかったとすら思った。1人になると決めていたのに、1人でいることに不安を感じていたからだ。誰でも良いから、一緒にいてくれて、もうすぐ夜になろうとしていたので、安心感を覚えた。しかし、僕の知っている人じゃなさそうだ。その右手は紙の上に転がっているさっき使った赤色鉛筆を掴むと、ばつ印の上から絵を描き始めた。

 ばつ印は気づくと、二輪の綺麗な真紅の薔薇の花に生まれ変わっていた。

 薔薇は本物かと思ってしまうほど、影の濃淡もしっかりと再現されていた。この人絵が本当にうまい。僕はその絵に見惚れていたし、そんな絵を描く人に憧れた。書き方を教えてもらいたいって思った。

 その人は僕の真後ろにいる。気配だけを感じていた。

 すると、彼は後ろからこう言った。

「恭くん、僕は知っているよ。君は有言実行し決して諦めない、本当に素敵な人だ」

「えっ??」

 僕は声に聞き覚えがあるような気がして、思わず後ろを振り向いた。

 そこにいたのは男の人で、髪の毛は金髪で、優しい顔をしていた。笑顔だった。

「恭くん、初めまして。私は47歳の坂口恭平だよ」

 おじさんはなんと、僕自身だったのだ。

 僕は今、47歳の僕と向き合っている。おじさんはそのまま顔を近づけてきた。鼻と鼻が当たっているところまで近づくと、そのままおじさんは僕の顔の中に入ってきた。目の高さが同じで、おじさんの目玉がそのまま僕の目玉に重なった。目玉がそれぞれ一つになったような感じがした。普通、目玉って、一つの方向しか見えないけど、僕は外側も内側も見れるようになっていた。なんか変な感じだった。でも悪くはなかった。いくつも見れるのは楽しかった。人間というか、虫とか動物とかになったような感じがした。鳥とかミミズとか。ミミズって虫だっけ? 

 しばらく目玉が一つになったまま時間が経って、おじさんはまた僕の目の前に戻ってきた。

「恭くん、初めて会うね。私は、37年後の恭くんだよ」

 僕はずっと黙っていた。怖くはなかった。家に誰もいないはずなのに、おじさんがいて、それでも怖くなかった。僕はあんまり怖いと感じない。いろんなものが見えていたけど、怖くはなかった。夜はいつも窓の向こうに誰かが見えていた。トイレをした後、ドアを開けると、その窓が見える。真夜中、いつも僕はトイレに起きて、そして、その顔を見ていた。窓は曇りガラスだったので、顔はよく見えない。でも、このおじさんだったのかな。悪い幽霊とかじゃないんだろうなって思っていた。だって、毎日、何にも悪いことは起きなかったし、縁起が悪いことも起きなかった。僕は何度か死にそうな病気にかかったらしいけど、パパとママが言ってた、でも、僕はちっとも死ぬと思わなかった。パパとママは僕が入院している時、ずっと家で泣いてたって弟が言ってた。お兄ちゃんはもうすぐ死ぬんだ、って弟もわかっていたらしい。でも僕は死ななかった。僕は死なないってわかってた。

「恭くん、君はね、今は周りの人に馬鹿にされたり、自分が選んだものを笑われたりしてるかもしれないけど、そんなの気にしなくていいからね。僕は知ってるよ。恭くんは本当にすごい子なんだよ。将来、必ず芸術家になるんだよ。絵も上手だし、物語も書けるし、歌もいつまでも湧き出てくるもんね。周りの人は芸術家じゃないからわからないだけだよ。でもね、あなたのお母さん、すごいツッコミしてくるでしょ? なんでかわかる?」

「わかんない」

「有言実行とネバーギブアップ、こんな大事な二つを毎日実行している恭くんを怒るのはおかしいでしょ」

「うん、わけがわからなくなる」

「それはね、お母さんは同じように芸術的感性を持っているのね。でも、恐怖心が強すぎて芸術家になれなかったのよ。感受性っていうのは死ぬまで残るから、しっかり恭くんが何を感じているのか、見えない世界のことを歌っているとか、全部見えてる。だからこそツッコミが激しい」

 僕はわかったようなわからないような、でもおじさんの声は耳に全部入れた。

「それで、47歳の恭くんである私がなぜここにやってきたかというと、今から37年後、ちょうど恭くんが私になる年、2026年なんだけど、もう21世紀にはなってる。恭くんからしたら未来の話、想像もできないかもしれないけど、その2026年にある事件が起きる」

「事件?」

「うん、とんでもないことが起きる」

「嫌だなあ」

「そうでしょ。でね、恭くん、君が人々を助けることになるんよ」

「えっ?」

「そんなわけで、私がここにきた理由は、これから恭くんに、みんなのリーダーになるための訓練をはじめますとお知らせにきたわけ」

「訓練?」

「そうそう。で、まずは感受性の強いあなたの母親、この人を鬼婆に変えます。そして、いつも優しいあなたの父親、この人を白痴の人間に変えます。鬼婆はいつも事細かに恭くんのやることなすこと考えていること全部否定してきます。虐待ばりにすごいから気をつけてね。しかも、数年後、近親相姦も行いますので、気をつけて。もちろん避けることはできないのでとんでもない傷を負いまーす。しかも、父親は白痴になるので、あなたを一ミリも助けません。文句も言わないが、助けることもしない。でも送り迎えはするように言っとくね。基本父親は優しい設定で一度も怒らないので、父親でガス抜きができるようにはしておくね」

「うん」

「そして、これから襲いかかる幼少期の傷によって、恭くんはフラッシュバックという状態が襲ってくるよ。その度に、鬱になる」

「鬱?」

「うん、今の恭くんみたいな状態。なんか黄昏て日が暮れて、落ち込んでるでしょ?」

「うん」

「こうやって、元気に動いて、その後疲れてもう嫌になってしまう状態を鬱と言うのね。これがひどくなると、さらに、傷が深いと、死にたくなってくるよ」

「死にたくなったことはまだないよ」

「恭くんは強いから大丈夫、私を見たらわかるでしょ? つまり37年間は絶対に自殺しないから」

「そっか。ゴールは見えてる」

「そういうこと。でもこれは全部訓練だから。誰よりも死にたくなるような辛い日々がこれから始まるけど、これは訓練だから」

「37年後のための訓練」

「さすが恭くん、飲み込み早いね」

「37年後、何が起きるの?」

「それは37年後のお楽しみ。今聞いたら気を失ってしまうからやめておこう」

「それはそうだね」

「でも時間の経過ってすごいんだよ。これから37年間、恭くんは命をかけた訓練がはじまる。必ず37年後にはどんなことがあっても、一秒も恐れない勇気ある人になってるよ。それは私が証明する」

「じゃあ、頑張る。今でも死ぬのが怖いとか感じたことはないよ」

「知ってる。恭くんは、なんてったって、胎児の時に母親のために自殺を試みた勇者だからね」

「覚えていてくれてありがと」

「神話ってのは常に出生の傷から生まれるから」

「シュッセイのキズ?」

「まあ、それはいいよ、いつか一緒に話そう。話を戻すと、恭くんこれから君には数々の困難が待ち受けている。もう死んだ方がマシ、と思うことも多数。しかし、君は一度も自殺未遂することなく、37年間生きのびることができる。それは私が証明しているよね。そして、37年後、この日本に、日本というものがなくなってしまうほどの大変なことが起きる。その時に、日本に住む全員が、これから恭くんが経験するような死ぬしかないと思ってしまうくらいの鬱状態に陥る。その時にだけ、恭くんが必要となる。もう経験済みの恭くんは、そんな最低最悪の事態になっても、へっちゃらな顔をして飄々と踊れるようになってるから。その時、必ず恭くんは社会的頂点に立ち、みんなを助けるんだよ」

「ってことはおじちゃんが?」

「うんそうだよ。今、社会的頂点に立っているよ。芸術家としてね」

「わお」

「すごいでしょ?」

「すごい。かっこいい」

「でもね、ここで君と僕が出会ったことを恭くんが記憶したままだと、訓練にならないのね」

「うん、そりゃそうだ。なんでも我慢してれば良いって思っちゃうもんね」

「そうそう。だから、今、私と恭くんが出会ったという記憶だけは、この後、消去することにするね」

「いつか思い出すの?」

「うん、37年後に思い出す。その時に、恭くんは近親相姦のトラウマを克服することになる。トラウマを克服した時に、この記憶を全て思い出す。そして気づくんだ。トラウマなんか元々なかった。これはただの訓練だったんだ。これから起こることの予行演習を人生をかけて47年間もやってきたということに気づくだろう」

「記憶がなくなるのは寂しい」

「うん、でも大丈夫。君は絶対に死なないから。とはいつつ、死んでしまったならそれはそれで社会的頂点に立つ資格がなかったということだけなんだ」

「厳しい世界なんだね」

「そうだよ。だからこそ、社会的頂点に立つ人間になることができる。恭くん、37年後に会おう」

「おじちゃん、ありがとう。素敵な人って言ってくれたのはおじちゃんが初めてだよ」

 すると、おじさんは僕の脳みそが一本の細くて長い黄金色の絹糸のような記憶の神経繊維を鼻毛を抜くように、引っ張った。

 そして、私は全てを忘れて、家に戻ってきた。

 もう夜になっていた。

 車の音が聞こえた。これはフォルクスワーゲンのエンジン音だ。

 家族が帰ってきた。私は笑顔で彼らを出迎えた。ママが不思議そうな顔をしていた。

「怖かったんでしょ?」

 いつもの意地悪な言い方だ。でも僕はへっちゃらだった。不思議だけど何も気にしなかった。右から左に聞き流す技をこの時僕はしっかりと身につけた。